加藤保男
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加藤保男(かとう やすお、1949年 - 1982年12月)は、日本の登山家。8000メートル峰に4度、エベレストに3度の登頂を果たし、長谷川恒男と並び称せられる天才クライマー。埼玉県大宮市(現さいたま市)生まれ。1971年(昭和46年)、日本大学文理学部体育学科を卒業。
やはり登山家として知られる兄の滝男の影響で、高校時代から登山を始める。
1969年(昭和44年)から1972年(昭和47年)にかけて、アルプスの三大北壁(アイガー、グランド・ジョラス、マッターホルン)を登攀。
1973年(昭和48年)10月26日、第2次RCC登山隊で、石黒久隊員とともに、エベレストのポストモンスーン期(秋季)初登頂を果たす(東南稜)。ただ、日程上、強行軍であったために、サウスコル(7,986m)のキャンプからの一気の登頂であり、8,650m地点でのビバークを余儀なくされ、翌日、長谷川恒男隊員に救出される。奇跡の生還と言われたが、この時、凍傷で足指すべてと右手の指3本を失う。
1975年(昭和50年)、インドヒマラヤ最高峰(7,816m)のナンダ・デビ登頂。
1980年(昭和55年)5月3日、エベレストにチベット側の北東稜から単独登頂。
1982年(昭和57年)12月27日、厳冬期エベレストに単独登頂を果たす(東南稜)も、下山中に消息を絶つ。
[編集] 参考図書
- 自著『雪煙をめざして』(中央公論社、1983年) ISBN 4122009995
- 長尾三郎『エベレストに死す 天才クライマー加藤保男』(講談社、1987年) ISBN 406184069X