千賀ノ浦部屋
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千賀ノ浦部屋(ちがのうらべや)は、日本相撲協会所属の相撲部屋。
古くは明治に初代高砂浦五郎や雷電震右エ門が所属した。
その関係で高砂系の名跡だったが、大正時代に綾川が高砂の相続争いに敗れて、入間川部屋に身をよせ、引退後内弟子を連れて千賀ノ浦部屋を創設した。このときの弟子に後の関脇綾川五郎次・幕内外ヶ浜弥太郎がいた。昭和2年限りで部屋を閉じ、綾櫻・外ヶ浜・部屋創設後に入門した後の関脇綾昇竹蔵らの弟子を出羽海部屋に預けた。
現在の部屋は、元関脇舛田山靖仁が平成16年9月27日に春日野部屋より独立し創設。
独立に際し、拓殖大学の後輩の栃乃洋泰一も引き連れる予定だったが、事情により栃乃洋は春日野部屋に留まった。その代わり、同じ拓殖大の後輩で古参力士の栃の山(最高位・幕下)を引き連れている。
[編集] 千賀ノ浦親方
- 舛田山靖仁(元関脇・石川)
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