大給藩
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大給藩(おぎゅうはん)は、三河国加茂郡大給村(現在の愛知県豊田市)に存在した藩。藩庁は大給陣屋。
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[編集] 概要
大給藩は6000石の旗本であった松平乗次が、大坂定番となって1万石を加増され、合計1万6000石の大名となって諸侯に列したことから、大給藩を立藩した。第3代藩主・松平乗真は正徳元年(1711年)4月28日、藩庁を大給から三河碧海郡奥殿村(現在の岡崎市)に移したため、以後、藩主家は三河奥殿藩として存続することとなった。
なお、藩庁の移転の理由は、藩政を行なうためには山間部にある手狭な大給より、発展している奥殿のほうが良いというものであった。
[編集] 歴代藩主
[編集] 松平(大給)(まつだいら(おぎゅう))家
1万6000石。譜代。
- 松平乗次(のりつぐ)<従五位下。縫殿頭>
- 松平乗成(のりなり)<従五位下。縫殿頭>
- 松平乗真(のりざね)<従五位下。縫殿頭>→奥殿藩へ移転。