姫谷焼
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姫谷焼(ひめたにやき/ひめややき)とは、備後国広瀬村姫谷(現・広島県福山市)で制作されていた陶磁器。当時の備後福山藩主であった水野勝種の指示によって生産が始められた。有田焼、九谷焼とともに17世紀の日本国内で磁器の生産に成功した三つの産地の一つである。
1936年および1969年~1978年の調査の結果、窯は少なく、内壁の焼け具合などからも生産の規模は小さく期間も長くなかったと見られている。具体的には陶器が1660年代(寛文)から1685年(貞享2年)前後まで、磁器は1670年(寛文10年)頃からやはり1685年前後まで生産されていた。 主な陶工として市右衛門(? - 1670年没)が挙げられている。
政治主導で開窯した経緯から日用品はほとんど焼かれず、陶器としては茶碗、茶入など逸品主義の茶道用具が、磁器としては染付の中皿など高級食器が焼かれた。現存する色絵磁器も少なくない。 当時の日本磁器、すなわち主として有田焼は中国風の作風が強く見られるが、姫谷焼はかなり和様化されている。これは有田焼の磁器製造技術を基に京焼の作風を取り入れたためと考えられている。