宝福寺 (総社市)
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宝福寺 | |
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境内 |
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所在地 | 岡山県総社市井尻野1968 |
位置 | 北緯34度41分28.70秒 東経133度44分2.35秒 |
山号 | 井山(いやま) |
宗派 | 臨済宗東福寺派中本山 |
本尊 | 虚空蔵菩薩 |
創建年 | |
開基 | 日輪 |
正式名 | 井山 宝福禅寺 |
別称 | |
札所等 | |
文化財 | 三重塔(重要文化財) 梵鐘(県重文) |
宝福寺(ほうふくじ)は岡山県総社市井尻野にある臨済宗東福寺派の寺院。室町時代の画僧雪舟が修行したことで有名な寺院である。山号は井山(いやま)。井山宝福寺または井山宝福禅寺ともいう。本尊は虚空蔵菩薩。
目次 |
[編集] 概要
宝福寺は創建の年代は不明であるが天台宗の僧・日輪によって開かれたとされ、元来は天台宗の寺院であった。鎌倉時代の貞永元年(1232年)に備中国真壁(現在の総社市真壁)出身の禅僧・鈍庵慧總によって禅寺に改められた。
当時の天皇であった四条天皇は病気となっていた。鈍庵が天皇の病気平癒のために祈祷を行ったところ、壇前に客星が落ち、天皇の病気は平癒したという。星が落ちた場所に井戸を掘り「千尺井」と名付けた。これが山号「井山」の由来となった。その後、寺院は天皇の勅願寺となり発展した。一時は塔頭・学院55、末寺300寺を数えるほどの巨刹となり隆盛を誇った。
戦国時代に起こった備中兵乱のため、天正3年(1575年)には三重塔を残し伽藍のことごとくを戦火により失った。その後、江戸時代に至るまでの間は荒廃していたが、江戸時代初期に復興され、再び山門・仏殿・方丈・庫裏・禅堂・鐘楼・経蔵の禅宗様式七堂伽藍を備える本格的な禅寺となった。本堂にあたる仏殿(別名・法堂〔はっとう〕)は享保12年(1727年)に再建されている。
秋は紅葉の名所として有名である。又政治家の橋本龍伍はここに眠る
[編集] 雪舟の鼠
室町時代、備中国赤浜(現在の総社市赤浜)に生まれた雪舟は、少年時代ここで修行を行った。幼少より絵が上手であった雪舟のエピソードとして鼠の絵の話が残されている。
絵を描くことが好きであった雪舟少年は修行もそこそこに絵ばかり描いていた。修行に身を入れさせようと禅師は雪舟を柱に縛り付けて反省を促した。夕刻、様子を見に来た禅師は逃げようとする一匹の鼠を見つけ捕まえようとしたが動かなかった。よく見るとそれは雪舟が流した涙を足の親指で描いたものであったという。それ以来、禅師は雪舟の絵を咎めなくなったといわれている。
[編集] 文化財
- 重要文化財(国指定)
- 三重塔
- 総高18.47m。寺伝によれば弘長2年(1262年)鎌倉幕府の執権・北条時頼が寄進して建立したといわれていた。しかし、昭和42年(1967年)に行った解体修理の際、永和2年(1376年)の墨書銘が発見され、実際にはもう少し時代が下った南北朝時代の建築であることが確認された。岡山県下では2番目に古い三重塔である。
- 岡山県指定重要文化財