宮城県角田高等学校
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宮城県角田高等学校(みやぎけんかくだこうとうがっこう)は、宮城県角田市にある県立の高等学校で男子高であったが、2005年度より、それまであった男子校の宮城県角田高等学校と女子校の宮城県角田女子高等学校が再編統合され、共学校の宮城県角田高等学校となった。略称は角高(かくこう)。旧制中学以来の仙南の伝統ある進学校として、県内外で活躍する人材を多数輩出している。が、昨今の大学進学率の低下、少子化、学力低下、地元成績上位層生徒の仙台市への流出などで大幅なレベル低下を招いており、学習意欲、進学実績、学習レベルの向上を目標としている。この他、宮城県白石高等学校とは毎年5月に定期戦を行っており、その交流史は長く、2005年で44回となる。競技種目は、野球や卓球など9種目である。
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[編集] 設置学科
- 全日制課程
[編集] 沿革
(旧)宮城県角田高等学校
- 1897年(明治30年) - 宮城県尋常中学伊具郡立分校創立
- 1899年(明治32年) - 宮城県中学校伊具郡立分校と改称
- 1900年(明治33年) - 宮城県第一中学校伊具郡立分校と改称
- 1901年(明治34年) - 宮城県第四中学校として独立
- 1904年(明治37年) - 宮城県立角田中学校と改称
- 1919年(大正8年) - 宮城県角田中学校と改称
- 1948年(昭和23年) - 新学制に伴い宮城県角田高等学校と改称
- 1997年(平成9年) - 創立100周年記念式典挙行
(旧)宮城県角田女子高等学校
- 1907年(明治40年) - 宮城県伊具郡立角田女子実業学校創立
- 1911年(明治44年) - 宮城県伊具郡立角田実科高等女学校と改称
- 1919年(大正8年) - 宮城県伊具郡角田実科高等女学校と改称
- 1920年(大正9年) - 宮城県伊具郡角田高等女学校と改称
- 1921年(大正10年) - 宮城県角田高等女学校と改称
- 1948年(昭和23年) - 宮城県角田女子高等学校と改称
- 2004年(平成16年) - 創立97周年記念式典挙行
(新)角田高等学校
- 2005年(平成17年) - 両校が統合して新たに共学校の宮城県角田高等学校が開校。
[編集] 著名な卒業生
旧制角田中学、(旧)角田高等学校卒業生
- 森兵吾 - 九州大学名誉教授
- 大槻菊男 - 東京大学名誉教授、虎の門病院初代院長
- 三文字正平 - 弁護士(東京裁判で第41代内閣総理大臣、小磯國昭の主任弁護士を務める)
- 保科善四郎 - 海軍中将、海軍省軍務局長、元衆議院議員
- 木川田一隆 - 元・東京電力社長、会長
- 大槻文平 - 元・三菱マテリアル社長、会長、日経連会長、名誉会長
- 竹谷源太郎 - 元・衆議院議員
- 遠藤榮一 - 宮城教育大学名誉教授
- 大槻義彦 - 早稲田大学名誉教授(大学教授として教鞭を執る傍らタレント業も営む)
- 秋葉賢也 - 衆議院議員
[編集] 所在地
- 宮城県角田市角田牛館1
[編集] 参考文献
- 「雄飛 100年のあゆみ 1897~1997」(1997年 - (旧)宮城県角田高等学校 編集)