富士乃真司
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富士乃真司(ふじのしん つかさ、1960年11月6日 - )は、千葉県船橋市(出生地は千葉県山武郡)出身で九重部屋(入門時は井筒部屋)所属の元大相撲力士。本名は矢木哲也(やぎ てつや)。最高位は東前頭筆頭(1988年1月場所)。身長181cm、体重144kg。現在は、陣幕親方。
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[編集] 来歴
1976年3月場所初土俵。1985年1月場所に新十両。2場所で陥落したが1986年1月場所に再十両となり、以後勝ち越しを続けて同年9月場所に新入幕を果たした。この時は1場所で陥落。1年後の1987年9月場所に再入幕し、幕内に定着した。富士乃真と改名したのは1987年3月場所である。
1989年9月場所12日目、富士乃真(当時西前頭3枚目)は太寿山戦を前に土俵下で控えていた。ところが、取組中の三杉里が土俵下に転落し、富士乃真の左足に三杉里の廻しが激突した。富士乃真は立ち上がれない状態となり不戦敗となった。左腓骨と左距骨骨折で全治2ヶ月の負傷と診断され休場することとなり、対戦相手が決まっていた翌13日目も不戦敗となっている。この事故に関しては同情よりも本人の不注意であると批判的な風潮が強い。なお、13日目に不戦勝になった相手は皮肉にもその三杉里だった。土俵上の怪我ではないため、当時設けられていた公傷制度が適用されず、翌場所は東前頭14枚目で全休して幕内から陥落し、その後も成績は振るわず幕下下位にまで番付を落とし、1990年9月場所限りで引退した。
2001年5月場所7日目には、幕下の取組を審判中に須佐の湖が土俵下に転落してきて激突。この際、右足を骨折するというアクシデントに見舞われている。
重心が低い点を生かし、相手のふところに入って寄ったり投げたりする相撲で「くすぐり相撲」とも呼ばれた。怪我が多かった。大汗かき。性格は温厚である。引退後は年寄・錦戸から陣幕を襲名し、審判委員を務めている。現在は八角部屋に所属。
[編集] 主な成績
- 幕内成績:93勝111敗21休
- 幕内在位:15場所
[編集] 改名歴
- 矢木 哲也(やぎ てつや)1976年3月場所-1978年1月場所
- 富士光 哲也(ふじひかり-)1978年3月場所-1987年1月場所
- 富士乃真 司(ふじのしん つかさ)1987年3月場所-1990年9月場所
[編集] 年寄変遷
- 錦戸 司(にしきど つかさ)1990年9月-1990年11月
- 錦戸 哲也(- てつや)1990年11月-1998年2月
- 陣幕 哲也(じんまく -)1998年2月-
[編集] 関連項目
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