山本進悟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山本 進悟(やまもと しんご、1975年生まれ)は、TBS『SASUKE』のSASUKEオールスターズの1人。ガソリンスタンド、「長谷川サービスステーション」エリアマネージャー。SASUKE唯一の皆勤賞。東京都出身。身長171cm、体重65kg。
目次 |
[編集] 人物
第5回まではガソリンスタンド店員だったのだが、回を重ねる毎にどんどん出世をしていき、第6回には所長に、その後エリアマネージャーにまでなっている。これを当時の実況古舘伊知郎は、「汗まみれの出世物語」と呼んでいる。しかし出世を重ねる毎に、充分なトレーニングが出来ていない状態で本番に挑んでおり、仕事の終わる深夜11時すぎからトレーニングを行っているという。生まれつき左肩の脱臼癖があり、大会時に脱臼してしまったこともある。腰痛も発症しており、まさに満身創痍の中でのサスケ挑戦が続いている。しかし、前述の通り第17回まで唯一のサスケ皆勤賞で「SASUKEは人生最良の趣味」として楽しみながら挑戦を続けている。1stステージでは毎回ローリング丸太で帽子を落とすのも特徴。
秋のサスケには弱いというジンクスがあり、第4回から第10回まで続いた。原因は夏バテ。夏は食欲が涌かないらしく、スタミナ不足になりがちだったからである。その代わり春のサスケではいつも好成績を収めていた(何故か毎回山本の後の選手が2ndステージでリタイアし、最後の一人となっていた。)。また、ただ一人2つのファイナルを経験している選手でもある。第17回前には、「SASUKE御殿」と呼ばれるマイホーム(外壁を利用してロープクライムができたり、スパイダーウォークやボディプロップなどができる)を建てた。陸上経験があり、第1回には陸上のユニフォームで出場をしていた。
[編集] SASUKEでの戦歴
第1回は1st丸太下りをなんと立ち幅跳びで突破。さらにそのまま、そそり立つ壁も楽々クリアし、当時の実況者(初田啓介)から「凄い!」と叫ばれた。1stを難なくクリアしたが、2nd五連ハンマーでリタイア。第2回は3rdまで進出するも、新設された難関パイプスライダーで腕力が力尽き、2本目の途中で落下。当時はこのレベルまで到達する選手が少なくなかったので、特に注目はされずゼッケンの番号も序盤だった。第3回にファイナルに進出すると、有力選手と扱われるようになる。ゼッケン98番となった第4回だが、1st揺れる橋でまさかのリタイア。これが山本進悟、秋のジンクスの始まりである。
第5回(詳しくはSASUKEの「SASUKEやKUNOICHIでのさまざまな事件・珍事など」の「大リニューアルの末に…(SA-第5回大会)」で。第6回には所長に出世。自身も「1st、2ndを確実に(クリアしたい)」と語っていたのだが、1stローリング丸太でリタイア。
第7回(詳しくはSASUKEの「SASUKEやKUNOICHIでのさまざまな事件・珍事など」の「1年半ぶりのファイナリスト、無残な結末(SA-第7回大会)」で。第8回から服を青色からワインレッドへ変更した。さらに今大会は前回左肩を脱臼したため、テーピングを巻いてでの出場となった。台風の中での今回はそり立つ壁まで進むも、1回失敗。滑るような音も聞こえていたため、雨が影響していたと思われる。2回目の挑戦でそり立つ壁を乗り越える。ロープクライムではクリアかリタイアか非常に微妙なところだったが、頂上付近で左肩を軸にして足をかけ、登ろうとした瞬間足を滑らせタイムアップ。この頃から、「山本は春に強く秋に弱い」というジンクスを周辺の人物、そして山本自身も意識し始める(この頃は、奇数回数の大会は春に、偶数回数の大会は秋に開催されていた)。
第9回は体調を崩し、風邪をひいている中での挑戦となったが、1stを10,2秒残しでクリア。今大会は2ndのスパイダーウォークがよく滑り、挑戦者達を苦しめていたが、山本はただ一人滑り止めをつけずにスパイダーウォークに挑んだ。しかし危なげなく突破し、3rdまで進む。第5回、第7回に続き山本の後の選手が2ndステージでリタイアし、最後の1人となるが、新設されたスタートエリア・ランブリングダイスの最後の着地でリタイア。ここも左肩の脱臼癖が影響したのではと言われている。この直後のインタビューで山本は「今回はここまでが僕の実力でした」と語っている。第10回ではそり立つ壁を一発でクリアし、残りタイムも充分あったが、新エリア・ターザンロープで手こずり、ロープクライムへの移行で少し落下。着水はしなかったものの、一番下から登ることとなりスタミナが尽きてタイムアップ。これで秋の大会は4大会連続1stリタイアとなってしまう。
第11回は、前回の無念を晴らすかのような落ち着いた作業でターザンロープをクリア。残りタイム15,4秒を残す。2ndステージも余裕のパフォーマンスで12,6秒残し、3rdまで駒を進める。肩の弱い山本はクリフハンガーで限界が近づいていく。下りの段差で力尽き、落下。しかし、春は山本の名に恥じない成績であった。そして秋の開催である第12回。1st、2ndを見事クリアし、秋のジンクスを遂に振り払った。しかし3rdクリフハンガーでまたしても落下。今回は登り段差での落下であった。
2大会連続で3rdクリフハンガーまで進み、ここ9大会連続でゼッケン96番以上だったのだが、第13回はゼッケン76番(この大会では『黄金筋肉』のサスケトライアルによって大方の番号が決められたが、山本はそり立つ壁でタイムアップになっていたためだと思われる)。1stは13,71秒残しの余裕のクリア。しかし、2ndステージで時間との戦いになり、さらにウォールリフティングで苦戦。最後の壁で足を挟み、ギリギリのところ無念のタイアップ。第1回以来の2ndステージリタイアとなった。前回大会で秋の嫌なジンクスを払拭したのだが、今大会で春の良いジンクスも振り払ってしまったという感じである。
第14回は1stを25,5秒残しの自身最速タイムでクリア。3rdステージのカーテンクリングでリタイアした。第15回は今までリタイア経験のなかった3rdボディプロップでリタイア。さらに続く第16回は、これもまた今までリタイア経験のなかった1stジャンプハングでまさかの着水。89番から96番まで8人連続で1stをクリアしていたため、山本のこのリタイアは強烈であった。第17回は第15回同様ボディプロップでリタイア。第18回はゼッケン争奪マラソンであえて早めのゼッケン番号である61番を選び、オールスターズの先陣をきった。そり立つ壁の進化版グレートウォールで一回ミスをし、残り時間も微妙なところだった。それが焦りに繋がったのか、フライングシュートを突破した後の網で落下。新1stステージの難しさを象徴する形となってしまった。
3rdステージ進出10回は全選手中、竹田敏浩と並んで最多である。近年はかつてと比べあまり派手な成績をあげていないが、唯一の皆勤賞、満身創痍の体という中で安定した成績を残し続けている。
[編集] SASUKEで出場した大会の結果
()の中はその時のゼッケン ★は今大会最優秀成績、もしくはファイナリスト
- 第1回大会 (7) 2nd、五連ハンマー
- 第2回大会 (20) 3rd、パイプスライダー
- 第3回大会 (13) Final、15m綱登り ★
- 第4回大会 (98) 1st、揺れる橋
- 第5回大会 (98) 3rd、パイプスライダー ★
- 第6回大会 (96) 1st、ローリング丸太
- 第7回大会 (97) Final、スパイダークライム ★
- 第8回大会 (98) 1st、ロープクライム
- 第9回大会 (98) 3rd、ランブリングダイス
- 第10回大会 (998) 1st、ロープクライム
- 第11回大会 (98) 3rd、クリフハンガー改
- 第12回大会 (96) 3rd、クリフハンガー改
- 第13回大会 (76) 2nd、ウォールリフティング
- 第14回大会 (98) 3rd、カーテンクリング
- 第15回大会 (95) 3rd、ボディプロップ
- 第16回大会 (97) 1st、ジャンプハング
- 第17回大会 (98) 3rd、ボディプロップ
- 第18回大会 (61) 1st、フライングシュート