山階芳麿
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山階 芳麿(やましな よしまろ、旧名:山階宮 芳麿王(やましなのみや よしまろおう)。1900年7月5日 - 1989年1月28日)は、日本の鳥類学者。 山階鳥類研究所の創設者。皇族出身の華族であり、軍人、学者である。階級は陸軍中尉。位階勲等は正三位勲一等。爵位は侯爵。学位は理学博士(北海道帝国大学)。生前に受けた栄誉及び表彰歴としては第1級ゴールデンアーク勲章受勲及びジャン・デラクール賞受賞などがある。
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[編集] 生涯
1900年(明治33年)7月5日、皇族・山階宮菊麿王の第2子として東京市麹町区に誕生した。昭和天皇とは実母(範子、貞明皇后の姉)、香淳皇后とは養母(常子)(ひさこ)、(邦彦王妃俔子(ちかこ)の姉)を通じての従兄にあたる。
生家は敷地が約5500坪。幼い頃から鳥に興味を持ち、6歳の誕生日に一つがいのオシドリの剥製を贈られる。
1907年、学習院初等科入学。学習院中等科のとき、明治天皇からの沙汰により陸軍中央幼年学校予科に入る。陸軍幼年学校、陸軍士官学校を経て陸軍少尉に任官。砲兵将校となる。1920年、当時の皇室典範にしたがって臣籍降下し、大正天皇から山階侯爵の家名を賜り、7月20日に叙勲。勲一等旭日大綬章受章。陸軍砲兵中尉となるが、動物学研究の望みを断ち難く、軍を退役し、1929年に東京帝国大学(のちの東京大学)理学部動物学科選科に入学、2年にわたって動物学の基礎を学び、1931年(昭和6年)に修了。 1932年(昭和7年)には山階鳥類研究所の前身である山階家鳥類標本館を東京府豊多摩郡渋谷町上渋谷(現在の東京都渋谷区南平台)の自邸に設立し、アジア・太平洋地域の鳥類標本収集を開始する(同研究所については後述する)。 1939年(昭和14年)から、北海道帝国大学(のちの北海道大学)教授小熊捍(おぐま・まもる)の指導を受け、鳥類の雑種における不妊性の研究に取り組み、1942年(昭和17年)「鳥類雑種の不妊性に関する論文」によって北海道大学から理学博士号を授与された。
その後、鳥類の染色体の研究に取り組み、1947年、鳥類の分類に染色体による分類法を導入して、国の内外から高く評価される。 1949年(昭和24年)には関連論文の集大成『細胞学に基づく動物の分類』を上梓し、翌1950年(昭和25年)、日本遺伝学賞を受賞した。
また、戦後のタンパク質不足から、文部省から「ニワトリの増殖」について研究委託を受け、多産で肉質がよいニワトリの品種改良にも取り組んだ。その他、バリケンとアヒルの雑種ドバンの増殖研究にも力を入れた。鳥類の保護にも大きな熱意を注ぎ、日本鳥学会会頭、日本鳥類保護連盟会長、国際鳥類保護会議副会長、同アジア部会長等を歴任した。
1977年(昭和52年)には、鳥学の世界のノーベル賞とも言われるジャン・デラクール賞を受賞。 翌1978年(昭和53年)には「世界の生物保護に功績があった」としてオランダ王室から第1級ゴールデンアーク勲章を受賞した。
[編集] 山階鳥類研究所
1932年に私費を投じて東京市渋谷区南平台にある山階家の私邸内に鳥類標本館を立てる。1942年に文部省から財団法人としての認可を得て、財団法人山階鳥類研究所を設立した。今日においても鳥類研究の機関として運営されている。
[編集] 山階芳麿賞
1993年、生前の功績が称えられ、山階鳥類研究所において山階芳麿賞が創設され、学界の功労者を表彰している。
- 回数 年次 受賞者 所属・職位
- 第1回 1992年 羽田健三(信州大学名誉教授)
- 第2回 1993年 松山資郎(山階鳥類研究所顧問)
- 第3回 1994年 中村司 (山梨大学名誉教授)
- 第4回 1995年 黒田長久(山階鳥類研究所所長)
- 第5回 1996年 中村登流(上越教育大学名誉教授)
- 第6回 1997年 正富宏之(専修大学北海道短期大学教授)
- 第7回 1998年 樋口広芳(東京大学大学院教授)
- 第8回 1999年 山岸哲 (京都大学大学院教授)
- 第9回 2000年 藤巻裕蔵(帯広畜産大学教授)
- 第10回 2001年 小城春雄(北海道大学大学院教授)
- 第11回 2002年 中村浩志(信州大学教授)
- 第12回 2003年 石居進(早稲田大学名誉教授)
- 第13回 2004年 由井正敏(岩手県立大学教授)
- 第14回 2006年 長谷川博(東邦大学教授)
[編集] 主な著書
- 『日本の鳥類と其生態』第1巻(1933年-1934年)
- 『日本の鳥類と其生態』第2巻(1941年)
- 『世界鳥類和名辞典』(1986年) - 世界の全鳥類に和名をつけた労作