岡山県第2区
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行政区域 | 岡山県岡山市(第1区、第3区に属さない区域)、 玉野市、瀬戸内市 |
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比例区 | 中国ブロック |
設置年 | 平成6年(1994年) |
選出議員 | 津村啓介(民主党) |
有権者数 | 288,622人(2005年9月2日現在) |
岡山県第2区(おかやまけんだい2く)は、日本の衆議院議員総選挙における選挙区である。 現在の区域は1994年(平成6年)の公職選挙法改正で設置されたものである。
目次 |
[編集] 大日本帝国憲法下
1890年の第1回衆議院議員総選挙では、津高郡、赤坂郡、磐梨郡、和気郡が選挙区域であった。
1900年の大選挙区制の導入で岡山県第2区は姿を消すが、1919年の法改正により再び小選挙区制が導入され、御津郡、児島郡が選挙区となり定数は1となった。
1925年のいわゆる普通選挙の導入で中選挙区制となり、倉敷市、玉野市、児島郡、都窪郡、浅口郡、小田郡、後月郡、吉備郡、上房郡、川上郡、阿哲郡(岡山県西部)が選挙区域となり定数は5となった。
1946年の第22回衆議院議員総選挙では、大選挙区制が導入され全県区となったため岡山県第2区は姿を消す。
[編集] 日本国憲法下
[編集] 中選挙区制(1947年以降)
1947年に再び中選挙区制が導入され、1925年当時の区域をほぼ踏襲し、倉敷市、玉野市、児島郡、都窪郡、浅口郡、小田郡、後月郡、吉備郡、上房郡、川上郡、阿哲郡が選挙区域、定数は5となった。以後市町村合併による区域変更を除いて大きな変更はなかった。1993年の第40回衆議院議員総選挙当時の選挙区域は、倉敷市、玉野市、笠岡市、井原市、総社市、高梁市、新見市、児島郡、都窪郡、浅口郡、小田郡、後月郡、吉備郡、上房郡、川上郡、阿哲郡であった。
[編集] 小選挙区制(1994年以降)
1994年の小選挙区比例代表並立制導入以降は、岡山市(第1区に属しない区域)、玉野市、邑久郡、児島郡が選挙区域となった。なお、灘崎町が岡山市に編入されたことにより児島郡が消滅、邑久郡の3町が合併し瀬戸内市に、第3区の赤磐郡瀬戸町が岡山市に編入されたことから、現在は第1区、第3区に属さない岡山市、玉野市、瀬戸内市が選挙区域である。
2005年の第44回衆議院議員総選挙では、前職の熊代昭彦が郵政民営化法案に反対票を投じたため自由民主党の公認を得られず、友人の萩原誠司岡山市長(当時)が自由民主党公認候補として出馬したため立候補を断念した。
[編集] 議員
小選挙区時代のみで比例代表当選者を含む。
[編集] 選挙結果
当落 | 得票 | 候補者 | 政党 | 経歴 |
---|---|---|---|---|
当 | 88,277 | 津村啓介 | 民主党 | 前 |
比当 | 86,035 | 萩原誠司 | 自由民主党 | 新 |
13,999 | 尾崎宏子 | 日本共産党 | 新 |
当落 | 得票 | 候補者 | 政党 | 経歴 |
---|---|---|---|---|
当 | 78,643 | 熊代昭彦 | 自由民主党 | 前 |
比当 | 69,190 | 津村啓介 | 民主党 | 新 |
14,357 | 尾崎宏子 | 日本共産党 | 新 |
当落 | 得票 | 候補者 | 政党 | 経歴 |
---|---|---|---|---|
当 | 85,514 | 熊代昭彦 | 自由民主党 | 前 |
50,187 | 中桐伸五 | 民主党 | 前 | |
20,500 | 尾崎宏子 | 日本共産党 | 新 | |
10,477 | 松本安正 | 社会民主党 | 新 |
当落 | 得票 | 候補者 | 政党 | 経歴 |
---|---|---|---|---|
当 | 63,676 | 熊代昭彦 | 自由民主党 | 前 |
比当 | 51,551 | 中桐伸五 | 民主党 | 新 |
21,341 | 尾崎宏子 | 日本共産党 | 新 |
[編集] 関連項目
- 岡山県第1区(中選挙区時代、岡山市と邑久郡が第1区に属していた)