布市藩
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布市藩(ぬのいちはん、1600年(慶長5年) - 1608年(慶長13年))は、江戸時代初期、現在の富山県(越中国)に存在した藩。
[編集] 概要
慶長5年の関ヶ原合戦後、徳川家康から越中国(富山県)新川郡に1万石を与えられた土方雄久が創始した。富山市布市(野々市)の臨済宗興国寺前の「殿方屋敷」または富山市上栄(旧・陀羅尼寺村)の「矢竹藪」が陣屋跡とされる(『平成7年度富山県立富山南高校地歴部研究紀要』)。
慶長13年、雄久の従兄弟である前田利長が能登国(石川県)石崎ほか1万3000石の散在所領との交換を持ちかけ、幕府の許しを得て能登に移り、布市藩は僅か8年間で消滅した。布市藩土方家は能登石崎藩、次いで下総国田子藩、陸奥国菊多藩となり、貞享年間に家事不正で断絶した(『徳川実紀』)。越中布市を加賀国(石川県)の野々市と混同している資料(角川書店『日本史辞典』、藤野保編『藩翰譜』、旧版『菰野町史』ほか)もあるが、誤り。
藩領は富山市布市を北端とし、富山・岐阜県境にある富山市東猪谷まで続いていたとされる(『富山県史』通史編近世上)。土方家から代官2名が派遣され(『新編七尾市史』)、在地支配を行った(「富山市日本海文化研究所報」31号)。布市地区には雄久が参篭したと伝える毘沙門堂があり、興国寺に所領を寄進したと伝える。