引田城
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通称 | |
城郭構造 |
平山城 |
天守構造 |
不明 |
築城主 |
不明 |
築城年 | |
主な改修者 | |
主な城主 |
四宮氏、仙石氏、生駒氏 |
廃城年 | |
遺構 |
石垣 |
位置 |
引田城(ひけたじょう)は日本の城。所在地は香川県東かがわ市。
[編集] 概要
引田城は城山と言われる山にある平山城で、初期の頃は、尾根伝いにコの字型に展開し、四隅には櫓を備えていた。現在の遺構は、四隅の櫓の内、北と西の2つの櫓を中心に残っている。
引田城は高松城や丸亀城と同じく生駒時代の城であるが、その後香川の歴史上から消え去っている。それは同じく高松城の支城であった丸亀城のように、その後再築されなかった事も要因の一つだと言われている。
1615年の一国一城令で廃城になった後、城がいつ取り壊されたかは不明で、長らく忘れられた存在だった。しかし近年、文化財として調査・保存の機運が高まっている。
[編集] 沿革
- 室町時代末期 寒川氏に属する四宮右近の居城になる。
- 元亀元年(1570年) 三好氏に攻められ寒川氏は城を引き渡す。
- 天正11年(1583年) 仙石秀久が入城。
- 天正12年(1584年) 秀久は長宗我部軍に引田表で敗れるが、羽柴秀吉の四国平定後に再び秀久が入城。
- 天正18年(1587年) 生駒親正が讃岐一国を得て入城するが、同年引田城が讃岐の東に偏っていたので聖通寺城に移る。
- 元和元年(1615年) 一国一城令で廃城。
[編集] 関連項目
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