敵国条項
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敵国条項(てきこくじょうこう)とは、国際連合における国際連合憲章の条項。旧敵国条項とも言われる。
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[編集] 概説
敵国条項は、国際連合憲章53条と107条に規定されている。第二次世界大戦において連合国の敵方であった国が、国際連合憲章に違反した行動を行なった場合には、連合国の構成国は、単独においても国際連合決議に拘束されずに無条件に軍事制裁を課すことができるとしている。
敵国の定義は、国際連合憲章において明記されてはいないが、一般には、第二次世界大戦において枢軸国であった日本、ドイツ、イタリア、ハンガリー、ブルガリア、ルーマニア、フィンランドを対象としていると考えられている[1]。
[編集] イタリアの扱い
イタリアについては、「大戦中に枢軸国から離脱して連合国側に立ったために除外されている」という通説が存在しているが、これは誤りである。
なぜなら、大戦中に連合国と休戦して日独に宣戦布告したのはイタリア(1943年)に限ったことではなく、ブルガリア・ルーマニア・フィンランドの3ヶ国も1944年に日独に対して宣戦している(ハンガリーは、ソビエト連邦に占領されていて日独への宣戦は行わなかった)。
よって、イタリアが除外されているのなら、ブルガリア・ルーマニア・フィンランドも除外されていることになり、敵国条項の対象は日本・ドイツ・ハンガリーの3ヶ国のみとなってしまう。さらに、重要なのはイタリア以下の5ヶ国は1947年に連合国とパリ講和条約を結んでいて領土の割譲や賠償金の支払いを行っている。連合国から敗戦国であると明確に認定されている証しである。
実際、この4ヶ国の国際連合への加盟は、日本の前年(1955年)にまで遅れている。これは、ハンガリーの加盟と同年である。
ちなみに、戦後の外交手腕によって敗戦国の地位を免れたタイ王国(タイ)は1946年に加盟済みである。このことから、イタリア以下4ヶ国がハンガリーと同じく敗戦国として扱われていることは間違いはない。また、2001年7月発行の外務省パンフレット『日本と国連』によると、イタリアも敵国条項削除の協議を行っている。このようなことから、イタリアが、ブルガリア・ルーマニア・フィンランドと共に敵国条項の対象にされていることが疑いの余地がないと言ってよいだろう。
「イタリアは除外されている」という通説が広まった理由は、5ヶ国の一員として日独伊三国軍事同盟を、戦況が不利になると即座に連合国側に背信したという事実が、日本人に「イタリアは裏切っていながら締結した」という認識を強く抱かせていたからであろう。その他の枢軸国については、日独伊に比べると陰が薄く、イタリアと同様に日本に対して宣戦していたということもあまり知られていないために「除外されている」という考えがなかったからであると思われる。
[編集] タイ王国の扱い
タイ王国も、日本と日泰攻守同盟条約を結んで枢軸国側についていたが、日本の敗戦後に、条約は日本の軍事力を背景とした強迫によるものと主張して連合国により枢軸国の扱いから除外されて敗戦国としての扱いも免れた。国際連合の発足後、即座に加盟して1947年のパリ講和会議、または、1951年のサンフランシスコ講和会議にも他の枢軸国と共に招かれることもなかった。したがって、敵国条項の対象には含まれていないと考えられている。
[編集] 現状
日本やドイツなどの旧敵国が全て国際連合に加盟した現状においては死文化した条項とされている。日本やドイツ等からの敵国条項を削除する意見の高揚によって1995年の総会において敵国条項の憲章からの削除を求める決議が採択された。しかし、憲章は、条約に相当するために敵国条項を実際に削除するには国際連合加盟国の議会承認などの手続きが必要であるために現在においても敵国条項の削除は実現されていない。