新潟方式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
新潟方式(にいがたほうしき)とは、新潟県で実施される選挙において民主党、社民党、連合、市民グループの4者が無所属候補を共同で擁立する方式のことを言う。なお、本項では衆院選小選挙区レベルのものは市民グループによる推薦の有無が確認できないため便宜的に除外し、全県レベルの選挙に限定して扱っている。
[編集] 概要
これまで主な選挙では、2002年4月の参院補選、2004年7月の参院選、同年10月の新潟県知事選において実施された。 前2回はそれぞれ黒岩宇洋(後に民主党入党)、近藤正道(社民党県議からの立候補だったこともあり無所属のまま社民党会派入り)の当選に成功した。しかし、社民党主導で多賀秀敏を擁立した県知事選では、民主党の渡辺秀央参議院議員ら旧自由党系が自民党・公明党推薦の泉田裕彦を支持した(自公両党が民主党分裂を誘うために泉田に乗ったとの説もある)ため同党は県連による支持に留めたこともあり、十分には機能しなかった。(泉田裕彦#知事選結果)
その後、修復に向けた動きもあったが、前述のとおり黒岩が2005年12月に民主党入りしたことや、2007年4月の新潟県議選において民主党が全選挙区で公認候補を擁立する方針を打ち出したことなどに対抗したのか、社民党は2007年7月の参院選に山本亜希子新潟市議の擁立を決定している[1]。このことから新潟方式は事実上破綻した[2]と見られるが、他県に見られる民主党・社民党の共闘関係が新潟においては完全に消滅したとまでは言い切れないことにも留意する必要があろう。
[編集] 選挙結果
当落 | 得票 | 候補者 | 政党 | 経歴 |
---|---|---|---|---|
当 | 541,881 | 黒岩宇洋 | 無所属 | 新 |
342,207 | 塚田一郎 | 自民党 | 新 | |
132,672 | 桑原加代子 | 共産党 | 新 |
当落 | 得票 | 候補者 | 政党 | 経歴 |
---|---|---|---|---|
当 | 428,117 | 近藤正道 | 無所属 | 新 |
当 | 367,059 | 田中直紀 | 自民党 | 現 |
319,968 | 塚田一郎 | 自民党 | 新 | |
111,201 | 桑原加代子 | 共産党 | 新 |
当落 | 得票 | 候補者 | 政党(推薦・支持政党) | 経歴 |
---|---|---|---|---|
当 | 344,904 | 泉田裕彦 | 無所属(自民党、公明党) | 新 |
299,145 | 多賀秀敏 | 無所属(社民党、民主党県連) | 新 | |
198,675 | 小林一三 | 無所属 | 新 | |
109,539 | 宮越馨 | 無所属 | 新 | |
46,207 | 川俣幸雄 | 無所属(共産党) | 新 | |
41,626 | 伊藤雄二 | 無所属 | 新 |
[編集] 関連項目
- 鳩山由紀夫(2002年の補欠選挙時の民主党代表)
- 菅直人(2003年の参院選時の民主党代表)
- 岡田克也(2004年の新潟県知事選時の民主党代表)
- 土井たか子(2002~03年の参院選時の社民党党首)
- 福島瑞穂(2004年の県知事選時の社民党代表)
- 笹森清(新潟方式が実施された3回の選挙時の連合会長)
- 塚田一郎(新潟方式が成功した2回の選挙でいずれも敗れた自民党候補)
- 池田弘(泉田裕彦の知事選時の確認団体会長及び後援会副会長で地元学校法人理事長・アルビレックス新潟会長。氏らの熱心な活動もあり泉田が多賀を破ったことが新潟方式に影響を与えたと見られる)
カテゴリ: 政治 | 日本の選挙 | 政治関連のスタブ項目