日米地位協定
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日米地位協定(にちべいちいきょうてい)、正式名称日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定(にほんこくとあめりかがしゅうこくとのあいだのそうごきょうりょくおよびあんぜんほしょうじょうやくだいじょうにもとづくしせつならびににほんこくにおけるがっしゅうこくぐんたいのちいにかんするきょうてい、Agreement under Article VI of the Treaty of Mutual Cooperation and Security between Japan and the United States of America, Regarding Facilities and Areas and the Status of United States Armed Forces in Japan)は、1960年(昭和35年)1月19日に、新・日米安全保障条約(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約)6条に基づき、日本とアメリカ合衆国との間で締結された条約。主に在日米軍の日米間での取り扱いなどを定める。1952年(昭和27年)2月28日に、旧・日米安全保障条約3条に基づいて締結された日米行政協定(日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定)を承継する。
その内容は、アメリカ側に有利であり、日本国民の人権が侵害されているとして、米軍基地周辺住民、特に多数置かれる沖縄などの地域の住民から内容の改定を求める声が上がっている。
目次 |
[編集] 締結経緯
- 1951年 - サンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約締結
- 1952年 - 日米安保条約に基づく具体的取り決めとして日米行政協定に調印。
- 1960年 - 日米安保条約の改正に伴い、日米行政協定を日米地位協定として改正。正式に条約とする。
[編集] 不平等性の主張
協定の改定を求める日本の人々は、下記の点が不平等であると主張している。
[編集] 裁判権
第17条3により、米軍基地内における犯罪や米軍関係者間の犯罪はアメリカが優先的な裁判権を持つ。また、第17条5(C)により、日本で裁判を受けるべき被疑者であっても、アメリカが先にその身柄を拘束した場合、身柄が引き渡されるのは検察により起訴がなされた後である。このため、起訴までの間に充分な捜査ができない。更には重罪にも拘らず身内の行為として不当に寛大な処分がされる恐れさえある。
[編集] 原状回復義務
第4条1により、米軍が日本に施設を返還する場合、その土地を元通りに回復する義務を負わない。この規定は返還前の通りに人家等を建て直したり、補償をしたりする義務を負わない、と言う意図で作られたものだと考えられるが、実際には返還後の土壌からPCBなどの有害物質が発見される事例があり、これらの土壌の除染作業を日本政府が行なう必要が生じている。(アメリカ国内では例え軍施設であっても環境基準の遵守を義務付けられており、“日本では更地に戻しさえすればよい”と解釈されている疑いがある)
[編集] 「日米地位協定の考え方」
2004年1月13日、沖縄県の地方紙琉球新報が「日米地位協定の考え方」と題する文書を公開した。これは、外務省が日米地位協定の具体的な解釈をまとめた、とされる文書で、この中では日米地位協定の文言以上に米軍の利益を擁護する解釈が示されており、地位協定を改定するべきであると主張する人々は、この「考え方」も問題点の一つだと主張している。
外務省は、この文書の存在を否定している。(この種の問題は年次改革要望書・西山事件も参照)
[編集] C・ジェンキンスとの関係
北朝鮮から来日したチャールズ・ジェンキンスは、米軍から敵前逃亡等の疑いをかけられている。アメリカ軍はジェンキンスの来日に合わせて所属を駐韓軍から駐日軍に変更し、日米地位協定を理由に日本に身柄の引き渡しを要求した。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 日米地位協定 - 外務省
- 日米地位協定全文 - 同上
- 施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定第十二条6(d)に関する交換公文、1960年1月19日 - 東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室
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