棚橋祐治
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棚橋祐治(たなはし ゆうじ 1934年10月13日 - )は、官僚 通商産業事務次官。
[編集] 略歴
岐阜県生まれ。岐阜県立岐阜北高等学校から東京大学法学部を経て、1958年に通商産業省入省。1977年に内閣総理大臣秘書官を経て、1981年、機械情報産業局総務課長、1983年に大臣官房審議官、1984年に機械情報産業局次長、1986年に大臣官房長、1988年に機械情報産業局長、1989年に産業政策局長を経て、1991年5月から1994年6月まで事務次官。退官後は埼玉大学教授、日本興業銀行顧問、1997年8月から新エネルギー財団理事長、2001年から石油資源開発社長。
[編集] 人物
通産省在任中は、特に米国との協調を重視する国際派として日本版OS・トロンを孫正義らとお蔵入りさせたと言われている。また、同じく通産官僚であった子息の棚橋泰文が総選挙に出馬するため退官時に、内藤正久(のち産業政策局長)に肩書の箔付けを依頼したとの怪文書が通産省内を出回った。いわば「通産省4人組事件」として熊谷弘通産大臣が熊野英昭事務次官に内藤正久らの解任を迫った出来事であった。省内の資源民族派と国際派との確執、非東大組の東大組である主流に対する人事抗争、小沢一郎と梶山静六との「一六戦争」などが複雑に絡み合っていた。これ以後、しきりに通産省の斜陽化が言われた。