森長義
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森 長義(もり ながよし、天明7年8月20日(1787年10月1日) - 天保8年8月20日(1837年9月19日))は、播磨三日月藩の第6代藩主。備中新見藩の関長誠の次男。関長輝の弟。子に長国、関長道、娘(高辻以長室)、娘(万里小路博房室)、娘(南部信誉室)。官位は従五位下、河内守、伊予守。
天明7年(1787年)8月20日、江戸で生まれる。幼名は芝二郎。享和元年(1801年)、先代藩主の森快温死去により、その養嗣子として後を継いだが、文化6年(1809年)5月20日に若くして養嗣子の森長篤に家督を譲って隠居し、天保8年(1837年)8月20日に51歳で死去した。法号:長義院殿棲鶴日娯大居士。墓所:東京都大田区池上の本行寺。
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