権知高麗国事
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権知高麗国事(けんちこうらいこくじ)とは、高麗王代理の意味である。
李氏朝鮮の初代国王李成桂は1392年、明が冊封した高麗王の禑王、昌王と恭譲王を廃位して高麗王位を簒奪した後、明へ権知高麗国事と称して明国へ使者を送り、権知高麗国事としての地位を認めてもらう。
明より、王朝交代に伴う国号変更の要請をうけた李成桂は、重臣達と共に国号変更を計画し、自分の出身地である「和寧」と過去の王朝の国号である「朝鮮」の2つの国号の案を明に出して恭順の意を表した。翌年の1393年2月、明は李成桂の意向を受け入れ、李成桂を権知朝鮮国事(朝鮮王代理)に冊封して国号が朝鮮国と決まった。
だが明では、明が冊封した高麗王を廃位して代わりの王を即位させたり、最後には勝手に自ら王に即位して王朝交代した李成桂を快く思わなかったらしく、李成桂に対しては最後まで朝鮮王としては冊封しなかった。
明皇帝から朝鮮国王として正式に冊封されたのは、李氏朝鮮第三代国王である太宗からであった。