ノート:歴史学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この記事は一度削除されています。削除に関する議論はWikipedia:削除依頼/歴史学をご覧ください。
目次 |
[編集] 「歴史観」と「歴史学」
私は「歴史観」から転送されて「歴史学」に来たのですが、「歴史観」を見たかった理由が昨今よく使用される「~史観」と言う用語に違和感を感じたからです。この「~史観」というのはイデオロギーを主張するのに使用され、何を正しいとするのか、何に価値を見出すべきなのか、どう評価するのかなどの論争のように思われます。それ対して、「歴史学」は本文冒頭を引用すると「歴史的事実、及びそれらの関連を追求する学問」であるはずです。そして「歴史観」とは「歴史学」によって示された「歴史的事実」によって規定されるものであると、私は認識していましたが、しかしながら昨今の「~史観」は「歴史的事実、及びそれらの関連」として「どういう歴史的事実があったとすべき」かの論争になり、「~史観」によって「歴史学」が規定されるかのような様相を示しているように見えます。前置きが長くなりましたが、私はこの差異について「歴史学」という学問の見地からはどのようになるのかを知りたくて「歴史観」を見たいと思いました。私のもともとの「歴史観」の認識が勘違いなのか、そうではないのか、現在「識者」と呼ばれている人たちの「歴史観」という言葉の使用方法が正しいのか間違っているのか、それが本稿の現在の歴史観の記事ではあいまいでよく分かりません。どなたか詳しく書いていただけないでしょうか。また、本稿の「歴史観」の説明はヨーロッパ史の話です。しかし以上の問題は日本史のことです。以前、「皇国史観」の反省として「歴史観」から脱却して、「学問」としてどうのこうのというのを読んだような気がするのですが、何を読んだのか覚えておらず、あいまいになってしまうので私ではかけません。「自虐史観」だの「自由主義史観」だのと喧々としておりますので、以上のことは私だけの問題ではないのではないと思い、ここでお願いさせていただきました。よろしくお願いします。61.197.219.182 2006年8月15日 (火) 10:57 (UTC)
ノートで論争中だったのですね、ごめんなさい。ただ、以上のことを説明してくださるように追記してくださるとうれしいです。61.197.219.182 2006年8月15日 (火) 11:09 (UTC)
- 「ノートで論争中だったのですね」とは、どの項目のノートで論争中なのですか?--yamato 2006年8月15日 (火) 12:54 (UTC)
[編集] 「中立的な観点」「記事の正確さ」のテンプレ
「中立的な観点」「記事の正確さ」のテンプレがありますが、荒らし行為が続いたため、 2006年5月2日 (火) 22:57 にJohncapistrano氏が張りつけたものです。荒らしが収まり次第、削除予定。 --忠太 2006年5月17日 (水) 11:56 (UTC)
[編集] 江上説
「江上波夫の古代史へのアプローチ」は相当あやしげではないか? 少なくとも一般的な歴史学の説明に、まず江上を持ち出す理由がよくわからない。--忠太 2005年2月9日 (水) 15:26 (UTC)
以下の文章(2005年2月9日 (水) 16:34 の版よりコピペ)は、一般的な「歴史学」の説明としては不適切であるため、削除しますが、何らかの参考になるかもしれないので、こちらに貼っておきます。 --忠太 2005年2月23日 (水) 14:32 (UTC)
[編集] 研究法
歴史事実の確定をどのようにして行うかは、概ね三通りある。
- 史料の部分的復元。
- 史料をできるだけたくさん探し出して、正しくつないでいって、より大きな史料にする。
- 比較研究あるいは分類的研究。
- 史料を他の史料と比較して、全体像における相関関係や、その占める位置を設定して、全体像の仮説作業を行うのである。比較研究とは、全体像の仮説作業にほかならない。しかし、それは創造的なものであって、固定的な、不可変的な原則ではない。歴史の復元でも同様で、比較研究のためにはつねに仮説的全体像をもたなければならないが、その仮説的全体像そのものが、新しい比較研究に基づいて、不断に新しく形成しなおされることが肝要である。
- 総合的研究。
- 歴史の仮定的復元作業はいちおう出来上がっても、それはあくまで仮説作業であって、同じ問題を他の面から別な史料で、いくつか仮説的復元作業を繰り返してみて、その結果がみな矛盾なく組み合わさって、はじめて真の歴史の復元となるのである。(江上波夫の古代史へのアプローチから)
以下の文章( 2005年2月23日 (水) 15:10 よりコピペ)は、このままではあんまりなので、削除しますが、何らかの参考になる可能性もあるため、貼り付けておきます。 --忠太 2005年2月25日 (金) 15:07 (UTC)
[編集] 歴史観
特定の固定した歴史観によらず、客観的立場で探求するのは困難であり、実際にはマルクス主義の唯物史観、ユダヤ教、キリスト教による歴史観など、政治、宗教、伝統、文化、日常に基づいた歴史観がある。そのため歴史修正主義などでは、歴史の客観性を放棄し、歴史は単なる主観的な物語とする意見もあるが、それを許すと無制限に過去が歪曲、捏造される危険性があるため、一般には歴史学はある程度の客観性、普遍性を持つよう努めるべきと考えられている。(←論旨が混乱している。要修正)
2005年2月5日 (土) 15:45 の版以前にあった以下の部分は脱線気味なのでコメントアウト・削除しましたが、何らかの参考になる可能性もあるため、貼り付けておきます。 --忠太 2005年3月8日 (火) 14:46 (UTC)
そのような考え方に変化がみられたのは、第一次世界大戦後のヨーロッパである。第一次世界大戦は従前なら非戦闘員として埒外にいられたはずの一般市民が巻き込まれ、多大の犠牲を被った。その凄惨な結果を目にした人々は歴史観の転換の必要を悟り、問題解決の手段としての武力行使になんらかの歯止めを掛けようとした。その成果がジュネーブ条約やハーグ陸戦条規である。しかしながら人類は再び過ちを犯してしまう。互いの権益の優位を主張し、地球上のあちこちで武力を行使し、人権をないがしろにした。この愚かな行為の責任は勝者にも敗者にも共にあることを我われは知っているし、過ちを繰り返さないように戦争を無条件に肯定する歴史観を捨てている。
[編集] 一次史料から五次史料まで
- 2005年10月27日 (木) 21:43 の版で、一次史料から五次史料までの区分が書き込まれましたが、小林よしのりの説(上記)なんでしょうか。コピペ臭くもあるのでリバートします。(それにしても「何の為に作成されたのか不明なものは五次史料」というのは何とも楽しい見解かも?) --忠太 2005年10月27日 (木) 14:24 (UTC)
[編集] マルクス儒教云々の荒らし
61.124.199.79氏の編集は個人的な意見の書込みでありソースが示されていません。一度削除しましたが、その後も繰返されるようです。johncapistrano 2006年5月2日 (火) 08:54 (UTC)
証拠は提示してある。
マルクスについて マルクス+史学で検索かければうなるように見受けられる事実がある。
儒教について ・史学では漢文を重視し、それ以外を全て否定する事実がある。 これは儒教的価値観以外の何者でも無い。 歴史学が着眼点を他の学問(法・経済・宗教・芸術・理系科学)の見解を考慮したことは過去一度としてなく。漢文がこの世の森羅万象の全てであるというスタンスであるからこれが儒教以外のいったい何者であるのか? 発狂せず現実をみよ!61.124.199.79 2006年5月2日 (火) 20:33 (JST)
- 暴言は不要です。検索結果とあなたの書込みとは関係がありません。johncapistrano 2006年5月2日 (火) 11:42 (UTC)
暴言?根拠なしで言論封鎖は史学の特権とでも?-以上の署名のないコメントは、61.124.199.79さんが2006年5月2日 (火) 21:48(JST)に投稿したものです。--yamato 2006年8月15日 (火) 12:43 (UTC)
61.124.199.79さん、あなたの幼稚な馬鹿話につきあってられません。誰のどのような論考がどうしてそのようになるのか具体的に提示してください。--怪蘇 2006年5月2日 (火) 13:00 (UTC)
↑ 歴史学者の意見だけに従うおばかさんですねw 史学が朝鮮と支那の馬鹿史観を黙認した事実だけをとっても 罵倒されて当然ですよwおまえらに何が出来る? 漢文の翻訳だけで全てを語るなってことだよw-以上の署名のないコメントは、61.124.199.79さんが2006年5月2日 (火) 22:18(JST)に投稿したものです。--yamato 2006年8月15日 (火) 12:43 (UTC)
だから誰のどのような論に対してあなたがそのように感じるのか聞いているのです。それに答えられないならここはあなたが来る場所ではありません。どこかの掲示板にでも退去してください。--怪蘇 2006年5月2日 (火) 13:26 (UTC) ↑ 学者の論文と同じでなければ意見を述べることが出来ないとするお前の発言の法的根拠を述べよ!-以上の署名のないコメントは、61.124.199.79さんが2006年5月2日 (火) 22:35(JST)に投稿したものです。--yamato 2006年8月15日 (火) 12:43 (UTC)
- 発言内容で程度が知れますよ。 --忠太 2006年5月2日 (火) 13:40 (UTC)
↑ 法的根拠を述べろと言えば程度が知れるのか?所詮三流学問だなw-以上の署名のないコメントは、61.124.199.79さんが2006年5月2日 (火) 22:58(JST)に投稿したものです。--yamato 2006年8月15日 (火) 12:43 (UTC)
-
- マルクス云々は分かりませんが、転載は分かりますので削除依頼に出しました。--Los688 2006年5月2日 (火) 13:54 (UTC)
↑ 逃げんなよ馬鹿-以上の署名のないコメントは、61.124.199.79さんが2006年5月2日 (火) 22:58(JST)に投稿したものです。--yamato 2006年8月15日 (火) 12:43 (UTC)
やれやれ、どの学問領域でも学問的論争をするのには最低限誰のどのような論考がどうして間違っているのかを明示しなければ成り立ち得ません。「お母ちゃんが○×ちゃんの言うことはダメといったからダメ」といった幼稚園児の発言に対しては議論は成り立ちません。61.124.199.79さん、あなたは学問論争の指導を受けたことがあるのですか?具体的に誰のどのような論があなたにとって不快なのか教えてください。--怪蘇 2006年5月2日 (火) 13:59 (UTC)
メンテナンスおよび上の議論を拝読しました。徒労感は察してもあまりあるものがありそうです。先方には議論する意思がないと判断せざるをえず、とりあっても無益なように思われます。--S kitahashi(Plé)2006年5月3日 (水) 00:57 (UTC)
[編集] 史料批判
史料批判の項にある
「次代の王朝を正当化するために先代の王朝の最後の皇帝などは悪くかかれる傾向にある」
のところは、
「次代の王朝の正統を主張するために先代の王朝の腐敗や退廃が強調される傾向にある。そのため最後の皇帝などは悪く書かれたり、天命を受けた者に相応しい行為があったとしても記述されないことが多い。」
とした方が良いように思います。理由は「正当」でも良いのですが、ここは「正統」という言葉を使っておきたいのと、歴史の歪曲には事実無視ということもあるのだと知っておいてもらいたいからです。以上、なぜか私には編集できないのでこちらで提案させていただきます。219.97.86.72 2006年11月5日 (日) 15:45 (UTC)