殺害塩化ビニール
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殺害塩化ビニール(さつがいえんか-)は、日本のインディーズレコードレーベルの一つである。
「日本最凶の困りものレーベル」とも呼ばれる。他のレーベルではリリース不可能な超反則バンドや危険ネタの作品を鬼のように乱射し、独自の世界を作っているのも特徴のひとつ。QP-CRAZYのボーカルである、「バカ社長」ことTHE CRAZY SKBによって設立された。THE CRAZY SKB本人がそうであるように、所属バンドも一筋縄にはいかない。なお、彼ら自身は「色モノ」と呼ばれることを嫌い自らを「ゲテモノ」と称する。
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[編集] 沿革
- 1983年 - 人つ目レーベルとして発足
- この後、JOKER RECORDS・妨害レコード・MURDEROUS TAPESと名前を変える
- 1988年6月 - 現在の「殺害塩化ビニール」に改名
- 1991年 - 「殺害カルトテープ」と称し、無名のゲテモノバンドのカセットテープを月2,3本のペースで年間20タイトルを発売。それまでのTHE CRAZY SKBの個人レーベル的な路線から現在に至るゲテモノ路線の基礎を築く。
- 1992年 - 恐悪狂人団、THE猛毒のCD作品を発表。これを機に従来ののカセットテープからCDによるリリースへとシフト。特にTHE猛毒のアルバムはその内容の過激さゆえに話題となり、8月にはレーベルとしての初の大規模イベントである「殺害サミット」を渋谷「ラ・ママ」にて開催(ゲストに石野卓球、ピエール瀧、林家ペー&パー子)。大トリは4年ぶりにライブを行う恐悪狂人団で、演奏最後にドラムセットを破壊→放火といった惨事で締めくくる。秋にはこの模様を収めたビデオ作品「殺害と書いてゲテモノと読む!」も発売された。これを機に、雑誌においても特集を組まれ始め、92年は殺害大躍進の年になった。
- 1993年 - 前年よりライブにおいて知名度を上げていたビジュアル系ゲテモノバンド「AIDS」の1stアルバムを発表。殺害の看板バンドとしての地位を確立。8月には前年に引き続き殺害サミットを開催。前年のパフォーマンスの為にラ・ママで演奏できなくなった恐悪狂人団に代わり、THE猛毒がトリを飾る。
[編集] リリースしたバンド
- 恐悪狂人団
- THE猛毒
- AIDS(元CASCADEのHIROSHIが在籍していた)
- 超合金(THE猛毒の変名バンド)
- 4DIENCE MURDER
- ありぢごく
- D.K.M.R.
- 毒餌
- マーガレット・ザ・プリンセス
- リチウム ランボルギーニ稗HATAwith消毒
- Mady Gula BLUE HEAVEN
- マンタガス
- 無恥鞭アナゴ
- 四日市ぜんそく
- 地獄まんじゅう
- はなとゆめ
- 東京牛パラダイスオーストリア
- QP-CRAZY(キューピークレイジー)
- アナル番長
- サファイアブルー
- 護痢羅芋
- 機械DOTEちん
- 殺(キル)
- 毒殺テロリスト
- 大日本意識革命軍狂暴
- 神田 ホイ (元いじめっこの実名を歌詞に取り入れてネタにしている)
- バロムワン
- 密売KGYダビッドソン(元松本ハウスのハウス加賀谷がボーカルだった)
- MOSH ROOM
- 駄菓子菓子
- ANTI-KRANKE
- ダンディームー
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- ■殺害塩化ビニール - 公式サイト