永井直哉
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永井 直哉(ながい なおや、嘉永3年(1850年) - 明治45年(1912年))は、大和櫛羅藩の第2代藩主。井上正瀧の五男。正室は飛鳥井雅典の娘。官位は従五位下、信濃守。
嘉永3年(1850年)9月生まれ。幼名は伝八郎。慶応元年(1865年)、先代の永井直壮が死去したため、その養嗣子となって跡を継いだ。明治2年(1869年)の版籍奉還により藩知事となり、明治4年(1871年)の廃藩置県により免官された。明治45年(1912年)1月、63歳で死去した。
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