深海救難艇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
深海救難艇(しんかいきゅうなんてい、英:Deep Submergence Rescue Vehicle、DSRV)は、海中で遭難・沈没した潜水艦の乗員を救助する専用の潜水艇である。
目次 |
[編集] 概要
深海救難艇は救難に特化した小型潜水艇であり、そのために必要な装備を持っている。潜水艦に対する救難手段を持つ事は潜水艦乗員の士気を保つために重要である。米海軍では原子力潜水艦スレッシャーの事故にあたって深海の沈没潜水艦に対する救難手段の不足を痛感し、その整備に着手している。従来主流であったレスキュー・チェンバーによる救助では海底につりおろす救助チェンバーから作業員が飽和潜水によって海中に出て、人力で救助活動を行っていたが、この方法では沈没艦の正確な位置捕捉が不可欠であること、また飽和潜水には深度限界があり、人員の加圧・減圧に時間がかかるため事故に対する迅速な対応が不可能であった。このため救難装備を備えた潜水艇を開発し海中での自由行動を可能とすることで、おおよその位置に潜航して海底を捜索する事が可能となったほか、艇内が常圧であるため加圧の必要がないなど、迅速な救助活動が可能となった。
米国や日本の深海救難艇は相互に接続された三つの耐圧球からなり、これに外殻を張った複殻構造を持つ潜水艇である。前部耐圧球は乗員と操船設備からなり、中部耐圧球は下部に接続ハッチを持つスカートを備えた救難区画、後部耐圧球は機械室となっている。外部監視装置としてソナー、投光機、テレビカメラ、窓を備える他、必要に応じて障害物を除去出来る様にマニピュレーターを備えることもある。推進用のプロペラに加えハッチに正確に接近・接合するために前後左右にスラスターを持ち微妙な位置調整が可能となっている。機関は蓄電池により電動モーターで駆動する。このため移動は低速で、広範囲の捜索にはむかない。
深海救難艇は海中で遭難艦を捜索し、発見すると艇体下部のスカートと遭難艦の専用ハッチを接合(メイティング)し、スカート内部を減圧・排水した後に深海救難艇と遭難艦のハッチを開いて通路を形成し、遭難艦の人員を深海救難艇に移乗させる。負傷者は担架に載せられたまま移乗させるがその作業には深海救難艇の救難作業員と遭難艦の健康な乗員が行う。一度に全員が救助できない場合は、深海救難艇が支援艦と遭難艦の間を往復して遭難艦の乗員を救助する。深海救難艇は各国で整備されているが、その接合方法は共通とされている。これは任務の性質上、必ずしも自国艦との接舷のみを行うとは限らないためである。このため潜水艦の上部甲板には救難ハッチの位置を明示する塗装がなされている。これは隠密行動を主とする潜水艦における塗装の例外となっている。
DSRVは小型であるためその活動時間は短く広域捜査能力に劣るため母艦との連携が不可欠となる。また自艦の活動時間や安全潜航深度の限界、遭難艦の傾き具合によっては接合そのものが不可能になるなど制約も多い。そのため米国や英国では活動に融通がきく無人潜航艇との組み合わせによる救難態勢を整備している。
[編集] 国際救難
2000年から太平洋周辺の潜水艦を運用する国家の合同救難演習「西太平洋潜水艦救難訓練(Exercise Pacific Reach、パシフィック・リーチ演習)」が隔年で行われている。2000年の第一回はシンガポール、第二回は佐世保周辺で行われた。第三回の「パシフィック・リーチ2004」は韓国の済州島沖で開催され、日本、米国、韓国、オーストラリア、シンガポールの5ヶ国が参加した。ただし、DSRVを運用している国は前三カ国のみでオーストラリアは潜水艦のみ、シンガポールは艦艇を派遣する予定だったが、最終的に人員のみの参加となった。オブザーバー派遣国はカナダ、チリ、中国、フランス、インド、インドネシア、マレーシア、タイ、イギリス、ベトナムの十ヶ国に達する。
海上自衛隊では第一回から直近の第三回まで、全ての演習にDSRV搭載の潜水艦救難艦他の自衛艦を派遣している。第三回には潜水艦救難母艦「ちよだ」と潜水艦「ふゆしお」が参加した。実際の演習では「ちよだ」搭載のDSRVが韓国の潜水艦に接合し、乗員救出を実演している。
2005年8月4日にカムチャツカ半島の沖合いで発生したロシア海軍の深海救難艇AS28の遭難事故では、翌8月5日にロシア海軍から救出を依頼された海上自衛隊は国際緊急援助隊派遣法に基づき直ちに自衛艦の派遣を決定、命令から一時間後の12:00には横須賀基地から「ちよだ」が現地に向けて出動した。最終的には掃海母艦「うらが」、掃海艇「ゆげしま」、掃海艇「うわじま」を含む四隻の艦隊が事故現場であるペトロパブロフスク・カムチャツキーの沖合いに派遣されている。この事故では自衛艦隊が現地に到着する前に空輸により先に現地に到着したイギリスの無人潜航艇が救出に成功し全員が生還したため自衛艦隊は8月7日15:00をもって救難活動を終了して帰港した。この事例は海上自衛隊における初の国際救難任務となった。一方で専守防衛の憲法のもと、海上自衛隊の潜水艦は四海峡封鎖を始めとする日本近海を行動範囲としており、その潜水艦を救難するための潜水艦救難艦もまた近海を行動範囲として設計・建造されているため航行速度は決して早くなく遠洋の遭難事故に対応するために迅速に進出することができない。このことは時間の制約が大きく迅速な展開が求められる潜水艦事故への対応に課題を残す結果となった。
[編集] アメリカ合衆国
アメリカ海軍では4隻の深海救難艇(DSRV)と4隻の支援母艦による救難態勢を計画したが、予算の関係で2隻態勢となり太平洋と大西洋沿岸の基地にDSRVとピジョン級支援母艦のペアを一隻ずつ配備した。ピジョン級支援母艦は双胴船体を有し、船体間に渡された幅広の甲板を作業甲板としてDSRVを運用した。その後ピジョン級支援母艦は廃され、事故現場近くまではアメリカ空軍のC-5A輸送機によるDSRVの空輸、その後は攻撃型原子力潜水艦のセイル後方の救難ハッチ上方にラックを設置して背負い式(ピギーバック)にDSRVを搭載し事故現場に向かう方法に改められた。
DSRVは遭難艦と救難潜水艦との間を往復して乗員を救助する。救難母艦は可能であれば遭難艦の至近にまで接近し往復の時間を節約する。米国のDSRVは下部のスカート以外に突起物の無い細長い魚雷形をしており、最後部にはシュラウドに囲まれた推進プロペラが取りつけられている。船体は塗装されておらず素材の色に由来する暗い灰色をしている。スカートとプロペラシュラウドは白く塗装されている。
DSRVは潜水艦事故に迅速に対応するために設計されており、航空機、船、または特別に設定された攻撃型原子力潜水艦によって輸送することができる。現場ではDSRVは母艦と共に救助にあたり、潜航してソナーによる捜索後、沈没した潜水艦のハッチに接舷する。最大24人の乗員を救助して母艦へ送る事が可能である。またDSRVは遭難艦の救出ハッチ付近を清掃するためのアームとそれに結合されたグリッパー、およびケーブルカッターも備えている。グリッパーは1,000ポンド(450kg)の重量を持ち上げることができる。
米国のDSRVは1963年に起きた原子力潜水艦スレッシャーの沈没事故の結果として開発された。スレッシャーはレスキューチェンバーの限界深度を越える深度で沈没したため全ての救助手段は失われ、乗員は全員死亡している。DSRVプロジェクトはロッキードミサイル&スペース社と契約され、深海救難潜水艇の一番艇を1970年までに開発することとなった。「Blind Man's Bluff:The Untold Story of American Submarine Espionage」という書籍の著者は、公表されたDSRVプロジェクトの目標は非現実的であり、真の目的は海中でのスパイ活動(海底ケーブルの盗聴など)についての研究であると主張している。しかしながらDSRVは救難任務を実行する事が可能であり、実際にいくつもの任務を行っている。
- 配備艇
- ミスティック(Mystic) DSRV-1
- アヴァロン(Avalon) DSRV-2
- 支援母艦
- ピジョン(Pigeon) ASR-21
- オルトラン(Ortolan) ASR-22
- 仕様
[編集] 旧ソ連/ロシア
旧ソ連ではインディア級として知られる940型救難用潜水艦を1978年に2隻建造、それぞれに潜航深度2,000mの1837型、または1837K型DSRVを2隻搭載している。1837型の外観は極太の円筒形船体の中ほどに置かれた小さなセイルが特徴である。940型救難潜水艦は海軍の予算不足から現在は予備役に置かれている。
また1980年代後半にはエルブラス級潜水艦救難艦2隻が就役した。エルブラス級はレスキュー・チェンバーの他、潜航深度2,000mの1832型DSRVを搭載する大型の救難艦だが、一番艦はすでに退役し現在は二番艦アラゲズのみが運用されている。1832型はインディア級に搭載されていたDSRVとは外形が大きく異なり水上高速型潜水艦を思わせる艦首と艇体後方に配置された大きめのセイルが特徴である。
2005年8月に訓練中の事故で遭難したロシアのDSRVは、ニュースによればAS-28と呼ばれている。AS-28は1855型に属しAS-26、AS-28、AS-30、AS-34の四隻が05360型、または05361型救難艦に二隻ずつ搭載されて運用されている。1855型は1837型や1832型とは異なる外観を持っており船体中ほどに配置された大きめのセイルが特徴である。
旧ソ連/ロシアのDSRVは赤白の縦縞模様に塗装されている。
[編集] 日本
海上自衛隊では早くから潜水艦救難艦の整備に着手、最初の潜水艦「くろしお」SS-501が米国から貸与された昭和30年から五年後の昭和35年にはレスキュー・チェンバー方式の「ちはや」(初代)ASR-401が建造され、昭和45年には「ふしみ」ASR-402を配備している。その後の深海救難艇の整備にあたってまず救難実験艇「ちひろ」を昭和50年に建造、各種の実験を行った後、潜水艦救難母艦「ちよだ」AS-405が昭和60年に、潜水艦救難艦「ちはや」(二代)ASR-403が平成12年に竣工した。いずれも母艦と同名のDSRV一隻を搭載しており、救難艦を三井造船玉野造船所が、DSRVを川崎重工神戸造船所が建造している。
「ちよだ」は潜水艦救難機能のほか、潜水艦を支援する母艦機能を持ち補給機能、及び潜水艦一隻の乗員に相当する80人分の休養設備を持つ。このため新しく潜水艦救難母艦という艦種が造られ艦番号がASR-405となった。つづく「ちはや」(二代)では母艦機能が縮小されたため艦名から「母艦」が無くなり純粋な潜水艦救難艦となった。このため艦番号は「ふしみ」ASR-402につづくASR-403となっている。なお「ちはや」は阪神・淡路大震災の教訓から医療設備の充実が図られている。また両艦とも再圧室、減圧室を持ち、飽和潜水や大気圧潜水服によるダイバーの大深度潜水作業にも対応できる。搭載するDSRVは個艦名を持たず母艦と同じ艦名で呼ばれている。ただし建造順に一号艇、二号艇と呼称することもあるようだ。両艇とも基本設計は同じだが建造時期に15年の開きがあるため細部の改訂が行われている。DSRVは白く塗装されているが上面のみは赤白の横縞模様に塗られている。
「ちよだ」、「ちはや」(二代)とも船体中央に位置する大型構造物内にDSRVの揚収設備を持ち、DSRVは船体下部の開口部(センター・ウェル)から直接海中に吊り降ろされて発進し、救助に向かう。救難母艦は海上での位置保持のために前後にスラスターを備えている。
潜水艦救難艦は高度な海中作業機能を持つため、本来の救難活動の他に海中作業を伴なう多くの任務に当てられてる。なかでも「ちよだ」は平成2年に沈没したカツオ漁船第八優元丸の潜水調査を行い、平成4年には三沢沖に米軍が緊急投棄した航空爆弾を捜索、平成14年には「ちはや」がハワイ沖で沈没した漁業実習船「えひめ丸」の引き上げを支援している。えひめ丸引き上げ支援では、実際に引き上げを行った米国海軍への支援や海中での遺品捜索のために「ちはや」搭載艇は百数十回の潜航を行っている。
- 潜水艦救難艦「ちはや」ASR-403
- 基準排水量:5,450t
- 全長:128m
- 全幅:20m
- 機関:ディーゼルエンジン2基、2軸推進、19,500馬力
- 速力:21kt
[編集] 韓国
韓国ではチャン・ポゴ級潜水艦の整備に伴なってチョン・ヘジン級潜水艦救難艦を整備した。同級はLR5K型DSRV一隻を搭載している。同級は英国の設計を元にしていると言われている。
[編集] 中国
中国では大江級潜水艦救難艦を三隻整備している。同級は二隻のDSRVを搭載している。このほか大東級、大浪級、上海級の潜水艦救難艦が就役している。大江級は「長興島」(北救121)、「崇明島」(東救302)、「永興島」(南救506)からなるが2003年に艦番号が改められ北救121は861、東救302は862、南救506は863となった。