渡辺長男
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渡辺長男(わたなべ おさお、明治9年(1876年)~昭和27年(1952年))は、明治~昭和の彫刻家(彫塑家)。同じ彫刻家の朝倉文夫は実弟。妻は岡崎雪聲の娘。
[編集] 略歴
1876年(明治9年)、大分県大野郡上井田村(現豊後大野市)村長であった渡辺要蔵の長男として生まれる。彫刻家を目指した長男は東京美術学校(現・東京芸術大学)に入学し、仏像彫刻家の山田鬼斎に師事する。すぐに頭角を現し、イタリアへと留学していた長沼守敬に欧州の彫刻技術を学ぶなど、先駆性を発揮した。
1897年11月に高村光太郎や武石弘三郎、白井雨山、青木外吉ら同窓生と「青年彫塑会」を結成し、木彫家をもまじえて技術上の交流をはかり、新進気鋭の彫刻家として注目されるようになる。この頃に実弟である朝倉文夫が長男を頼って上京。元々俳句を志して正岡子規に師事しようとしていたが、その子規の死もあるものの、文夫が彫刻(彫塑)への道を選択したのは、長男の多大なる影響がある。
長男は人物彫刻を得意とし、明治天皇騎馬像や井上馨像、太田道灌像、広瀬中佐像など、数多く製作した。また、東京日本橋の欄干の麒麟と獅子のブロンズ像は、長男の手によるものである。鋳造は義父である岡崎雪聲が行った。
[編集] 代表作品
- 明治天皇騎馬像(1930)(旧多摩聖蹟記念館)
- 軍神広瀬中佐像(1910)(万世橋駅※戦後のGHQによる撤去命令により現存せず)
- 太田道灌像(1924)(旧東京府庁内※戦時供出により現存せず。東京国際フォーラムに現存する像は、朝倉文夫によるもの)
- 徳川家康像(1920)(旧東京府庁内※戦時供出により現存せず)
- 日蓮上人像(1924)(洗足池畔)
- 菅原道真像(1936)(八王子御衣公園内)
他多数