牛金
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曹仁に従って各地を転戦する。赤壁の戦い後に、周瑜率いる呉軍6千人が江陵に攻め込んできた時に、牛金はわずか300名でこれを迎撃した。奮戦したが、所詮は多勢に無勢で、後一歩で危うく討たれるところであったが、牛金の身を案じた曹仁が駆け付けて来て救命され危機を乗り越えた。これが南郡や樊城も含む荊州北部の江陵攻防戦である。
後に魏の後将軍に出世している。また、『晋書』「高祖宣帝懿本紀」(宣帝の司馬懿の事項)によると、235年に魏に攻めて来た蜀漢の馬岱を牛金は勅命で迎え撃ち、馬岱は千人余の犠牲者を出して撤退したといわれる。239年には司馬懿の燕王の公孫淵征討に従軍した。