獲麟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
獲麟(かくりん)とは、中国の歴史書である『春秋』の最後に書かれた出来事で、後世には転じて物事(あるいは人生)の終わりの意味で用いられるようになった言葉。
(魯の哀公)十有四年(紀元前481年)春、西に狩して麟(麒麟)を得たり―。
魯の国の西方にある「大野沢」(だいやたく)というところで狩りが行われた際、魯の重臣である叔孫氏に仕える御者の子鉏商(ししょしょう)という人物が太平の世に現れるという聖獣「麒麟」を捕えた。だが、麒麟を見たことのない人々は気味悪がって、狩場を管理する役人に麒麟を押し付けて帰ったのである。たまたまその気味の悪い生物を見る機会があった孔子はこれが聖獣である麒麟だと言うことに気づいて衝撃を受けた。太平とは縁遠い時代に本来は出てきてはならない麒麟が現れた上、捕まえた人々がその神聖な姿を不気味だとして恐れを為すという事態に、孔子は自分が今までやって来たことは何だったのかというやり切れなさから、今まで自分が整理を続けてきた魯の歴史記録の最後にこの記事を書いて打ち切ったのである。従って「春秋」の最後の記事はこの記事をもって終わるとされている。但し「左氏伝」にはその2年後の孔子の死まで記事が引き続きかかれており、「左氏伝」を疑う学者はこの2年間の差をもって偽書とする主張を行った事でも知られている。