生國魂神社
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生國魂神社 | |
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所在地 | 大阪府大阪市天王寺区生玉町13-9 |
主祭神 | 生島大神 足島大神 |
社格等 | 式内社(名神大)・官幣大社・別表神社 |
本殿の様式 | 生国魂造 |
例祭 | 9月9日 |
生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)は、大阪府大阪市天王寺区にある神社である。式内社で、旧社格は官幣大社。難波大社ともいう。地元では「いくたまさん(生玉さん)」と呼ばれる。
目次 |
[編集] 祭神
生島大神・足島大神を主祭神とし、相殿に大物主大神を祀る。主祭神二神は宮中でも生島巫(いくしまのみかんなぎ)によって祀られ、歴代の天皇即位の際には国家の祭祀として二神を祀る「八十島祭」が行われた。
[編集] 歴史
社伝では、神武東征の時、難波津に上陸した神武天皇が、国土の神である生島神・足島神を現在の大阪城付近に祀ったのに始まると伝える。『日本書紀』の孝徳天皇の条で「(孝徳天皇は)仏法を尊び、神道を軽んじた」とあり、その例として生國魂社の鎮守の森の木を切ったことが挙げられている。延喜式神名帳には「難波坐生國咲國魂神社 二座」と記載され、名神大社に列している。
戦国時代には、石山本願寺に隣接していたため石山合戦で焼失した。天正11年(1583年)、豊臣秀吉が、大坂城を築城する際に現在地に社地を寄進して社殿を造営し、天正13年(1585年)に遷座した。このときに造営された社殿は、「生国魂造」と呼ばれる、流造の屋根の正面の屋上に千鳥破風、唐破風さらにその上に千鳥破風と3重に破風を乗せるという独特の建築様式のものである。元和元年(1615年)の大坂夏の陣で炎上し、徳川秀忠が再建した。
昭和20年(1945年)、太平洋戦争の空襲で焼失した。戦後の昭和24年(1949年)、木造の本殿を再建したが、翌年のジェーン台風で倒壊。昭和31年(1956年)、鉄筋コンクリートで生国魂造の本殿を再建した。
[編集] 施設
以下の11社の境内社がある。
- 皇大神宮
- 住吉神社
- 天満宮
- 鴫野神社 -- かつては弁天島(現在の大阪ビジネスパークの位置)に祀られており、淀殿が篤く崇敬した。淀殿死去の後は淀姫社と呼ばれるようになった。弁天島の用地売収にともない当社内に遷座した。現在も「女性守護の神」として信仰を集める。
- 城方向(きたむき)八幡宮 -- 大坂城鬼門鎮護の社。大坂城の方を向いて北向きに建てられている。
- 家造祖神社 -- 家造りの祖神を祀り、建築業者から崇敬される。
- 浄瑠璃神社 -- 近松門左衛門ら文楽(浄瑠璃)関係者を祀る。文楽だけでなく、広く芸能上達の神として信仰される。
- 鞴(ふいご)神社 -- 鉄鋼・金物の神として、また、かまどの神として信仰される。
- 稲荷神社
- 源九郎稲荷神社
- 精鎮社 -- 元は表参道の蓮池に祀られていたが、戦後、地下鉄工事のために蓮池が埋められることになり、境内に遷された。
[編集] 文学作品
近松門左衛門の『生玉心中』は当社の境内が舞台である。『曽根崎心中』にも当社が登場する。
[編集] 外部リンク
- 生國魂神社(玄松子)