皿沼 (足立区)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
皿沼(さらぬま)とは東京都足立区西部の一地区。住居表示では皿沼一丁目から皿沼三丁目まで所在する。郵便番号は〒123-0862
隣接する地域は北は入谷、東は西伊興、南は谷在家および鹿浜、西は加賀。
目次 |
[編集] 地域
足立区北西部に位置する長方形型をした町が皿沼である。町域の西側が皿沼一丁目、東側南部が皿沼二丁目、東側北部が皿沼三丁目であり、土地区画整理事業が行き届いた整然とした町並みが広がる。町域の北東部には東京都立舎人公園の広大な緑地帯が広がり、江北北部緑道と合わせて緑の豊かな町を形成している。
[編集] 地名
「皿沼」の「サラ」とは「新しい・浅瀬・開墾地・乾地」という意味があり、そのような場所にあった「ヌマ」(沼沢地・湿地帯)であったのだという。
1975年(昭和50年)の住居表示実施までは隣接する皿沼とともに「加賀皿沼町」という一つの町を形成しており、両者の関係は歴史的にも地域的にも極めて密接なものであった。
[編集] 交通
[編集] 鉄道
皿沼地域に鉄道駅は存在しないが、現在建設中の町域東端部を南北に走る新交通日暮里・舎人ライナーが開業すれば近隣地域に駅が設けられることとなる。
- 東京都地下鉄建設(2008年3月開業)
- 新交通日暮里・舎人ライナー : 舎人公園駅(舎人公園所在) / 谷在家駅(谷在家所在)
[編集] 路線バス
[編集] 道路
- 東京都道58号台東鳩ヶ谷線(尾久橋通り)
- 東京都道106号東京鳩ヶ谷線
[編集] 施設
保育・教育
- 足立区立皿沼小学校(皿沼一丁目19-1)
公園
- 皿沼区民農園(皿沼二丁目3-1)
- 皿沼東公園(皿沼二丁目7-3)
- 皿沼公園(皿沼二丁目25-1)
- 江北北部緑道公園(皿沼三丁目)
[編集] 史跡
神社
- 皿沼稲荷神社(皿沼三丁目15-12)
寺院
- 永昌院(皿沼一丁目4-2)
[編集] 歴史
かつて皿沼地域は上述のように、隣接する加賀地域とともに鹿浜村の中の小字であった。当初はそれぞれが「加々」と「皿沼」というように別々の小字であったが、後に「加々皿沼」と一つになり、さらに元禄時代頃までに再び「加々」と「皿沼」というように二つに分かれたという。江戸幕府が崩壊して明治新政府の時代となると、加賀皿沼は武蔵知県事の管轄となり、後に小菅県の所管となった。1871年(明治4年)の廃藩置県の実施で東京府が設置されると、加賀皿沼は「東京府南足立郡加賀皿沼村」として公式に村と称した。1889年(明治22年)に周辺8か村を合併して江北村が誕生すると、加賀皿沼は江北村の大字となり、約半世紀間の江北村時代を経る。1932年(昭和7年)の東京府構成5郡80か町村の東京市編入で南足立郡が足立区へと解体再編されると、大字加賀皿沼は「東京都足立区加賀皿沼町」として発足した。しかし行政的な立場はめまぐるしく変遷しても、その町並みと人々の暮らしぶりは江戸時代以来変わることなく続き、その変化は1960年代に始まる土地区画整理事業の実施を待つこととなる。
1967年(昭和50年)に住居表示が実施されると、加賀皿沼町とその周辺諸町(北鹿浜町)の一部区域をもって皿沼一丁目が、加賀皿沼町と周辺諸町(北鹿浜町、谷在家町、上沼田町)の一部区域をもって皿沼二丁目が、加賀皿沼町と周辺諸町(北鹿浜町、上沼田町、西伊興町、古千谷一丁目、舎人町、入谷町)の一部区域をもって皿沼三丁目が形成された。
[編集] 年表
[編集] 関連項目
カテゴリ: 足立区 | 東京23区の地域 | 日本の地理関連のスタブ項目