福州
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福州(ふくしゅう、ピン音: Fúzhōu、 中国語音声! ?)は、中華人民共和国福建省の省都である。榕城(ようじょう、ピン音: Róngchéng)とも称される歴史の古い町で、国家歴史文化名城に指定されている。面積121,525平方キロ、人口約590万人。明清時代には琉球館が設置され、琉球王国との交易指定港であった。
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[編集] 地理
武夷山に源を発する閩江下流に位置する港湾都市である。中国語で榕樹というガジュマロの大木が市域に多数有ることから榕城とも呼ばれている。
[編集] 交通
市内には鉄道の福州駅があり、外福鉄路が江西省を通って、杭州、上海、北京方面に通ずるほか、省内の南平、三明を経て山間をぐるっと回り、泉州、厦門にもゆけるが、福州から泉州や厦門に行く場合は、沿岸を直線的に結んでいる道路を利用する人が、ほとんどである。厦門方面への福厦鉄路と浙江省温州方面への温福鉄路建設が計画されている。
閩江沿いに15kmほど下ると、河口に馬尾港があり、国際貨物の拠点となっている。
福州が所管する長楽市に福州国際空港があり、福州市内からは機場高速道路を経由して45kmを小一時間で行ける。
高速道路は、北の浙江省に向かう羅長高速、北西の江西省に向かう銀福高速(京福高速の一部)、南西の泉州、厦門に向かう福泉高速がある。
[編集] 歴史
新石器時代からこの地に住む閩人の領域で、戦国時代中期に越が楚に滅ぼされ、越人が多く閩地に流入し、閩越と呼ばれるようになった。紀元前220年閩越を征服した秦始皇帝はこの地に閩中郡を設置した。秦末、群雄が割拠すると、閩越王無諸が反乱を起こし、後に劉邦に属した。このため、無諸は漢によって閩越王に封じられ、東治(福州の古名)はその都となった。
晋代には建安郡の郡城となり、唐代の725年福州都督府が設置されて、福州の名が固まった。唐末には王審知が閩国を建国して、福州に都した。五代十国のひとつである。この国は海外貿易などで大いに発展し、王延鈞の代には大閩国と号し、福州を長楽府と改称した。宋代には福州に復し、刺史が置かれた。元代に福建行中書省が設置され、最初は泉州、まもなく福州に長官が駐在した。
明代には福州に市舶司が置かれ、朝貢国である琉球王国の指定入港地となり、琉球館が置かれている。明末には南明の都が置かれたこともある。明清時代には福州は福州府治として福建の中心であった。アヘン戦争後の南京条約で福州は対外開港し、茶の輸出などで発展した。倉山には多くの外国領事館が置かれた。近代の福建は中国海軍や近代造船業の発祥地であり、清仏戦争ではフランス海軍の攻撃を受けた。
1984年対外開放地区に指定され、同時に国家歴史文化名城にも指定された。2006年現在では経済開発区に指定されている。
[編集] 行政区画
[編集] 軍事
連江県には南京軍区に属する第31集団軍第86師団司令部が置かれ、福州港は寧波に司令部を置く中国東海艦隊の重要な基地である。
[編集] 教育
- 福建師範大学
- 福建農林大学
- 福建医科大学
- 福州大学
[編集] 姉妹都市
[編集] 友好城市関係
長崎市(日本・長崎県、1980年10月20日締結)
那覇市(日本・沖縄県、1981年5月20日締結)
シラキュース(アメリカ合衆国、1991年8月25日締結)
タコマ(アメリカ合衆国、1994年11月16日締結)
カンピーナス(ブラジル、1996年11月8日締結)
ショールヘイブン(Shoalhaven)(オーストラリア、2003年10月15日締結)
ジョージタウン(ガイアナ、2006年5月17日締結)
ポーランドのコシャリン(Koszalin)と締結準備中。
[編集] 友好交流関係
平沢市(韓国、2002年8月26日締結)
[編集] 観光
- 鼓山
- 福州国家森林公園
- 西湖
- 福建省博物館
- 西禅寺
[編集] 特産品
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 福州市公式サイト(中国語)
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