第1次ナルヴィク海戦
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第1次ナルヴィク海戦 | |
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戦争: 第二次世界大戦 | |
年月日: 1940年4月10日 | |
場所: ノルウェー、オフォトフィヨルド | |
結果: イギリス軍の勝利 | |
交戦勢力 | |
イギリス | ドイツ |
指揮官 | |
ウォーバートン・リー大佐 | フリードリッヒ・ボンテ代将 |
戦力 | |
駆逐艦5 | 駆逐艦10 |
損害 | |
駆逐艦2沈没、1損傷 | 駆逐艦2沈没、5損傷 |
第1次ナルヴィク海戦(だいいちじ - かいせん、英First naval battle of Narvik, 独Schlacht um Narvik)とは第二次世界大戦中の1940年4月10日にドイツ軍のノルウェー侵攻(北欧侵攻)作戦であるヴェーゼル演習作戦中にオスト・フィヨルドで生起した海戦。
目次 |
[編集] 背景
[編集] 経過
4月9日、イギリス艦隊はドイツの戦艦シャルンホルスト、グナイゼナウを追って分離した巡洋戦艦レパルス、レナウンを除く駆逐艦5隻の第2駆逐隊はナルヴィク沖に到達し、上陸中のナルヴィク攻略部隊が4~6隻の駆逐艦と潜水艦であると地元住民の協力で艦隊の規模を把握した。
10日にイギリス艦隊は夜明けと満潮を待ってオスト・フィヨルドに突入し、フィヨルド内で停泊していた輸送艦Rauenfels(8,460 BRT)とナルヴィク港にドイツ艦隊の駆逐艦3隻を発見して攻撃、Rauenfelsと駆逐艦2隻撃沈、残る駆逐艦1隻も大破させた。この時、旗艦の駆逐艦ヴィルヘルム・ハイドカンプに座乗していたナルヴィク攻略部隊の指揮官フリードリッヒ・ボンテ代将が戦死した。輸送船と補給艦6隻を発見したが上陸部隊の揚陸は終わっていたため、イギリス艦隊は引き返した。
ヘルヤンゲン・フィヨルド(Herjangs)からエーリッヒ・ベイ中佐(第4駆逐隊司令)指揮する駆逐艦3隻、バランゲン・フィヨルド(Ballangen)からフリッツ・ベルガー中佐(第1駆逐隊司令)指揮の駆逐艦2隻が反撃を開始し、イギリス艦隊は雷撃を受けて駆逐艦2隻を失い、1隻が大破した。駆逐艦ハーディに座乗していたバーナード・ウォーバートン=リー大佐が戦死したが、ドイツ艦隊は深刻な燃料不足により追撃を断念して撤退した。
[編集] その後
この海戦の直後にオークニー諸島のハットストン基地から飛び立ったイギリス海軍航空隊が損傷していた軽巡洋艦ケーニヒスベルクを撃沈、航空機の攻撃で撃沈された初の艦艇となった。また、オスト・フィヨルドに後退したドイツ艦隊は増援に来たイギリス本国艦隊の攻撃で全滅した(第2次ナルヴィク海戦)。イギリス艦隊は駆逐艦とドイツ籍の輸送船と補給艦を計7隻を撃沈した。
後にイギリスは戦死したウォーバートン=リー大佐にビクトリア十字章を授与し、ドイツはフリードリッヒ・ボンテ代将に騎士鉄十字章を授与した。
[編集] 参加艦艇
- ドイツ海軍:駆逐艦10隻
- ナルヴィク攻略部隊(フリードリッヒ・ボンテ代将)
- 独立旗艦:ヴィルヘルム・ハイドカンプ
- 第1駆逐隊:ゲオルグ・ティーレ
- 第3駆逐隊:ハンス・リューデマン、ディーター・フォン・レーダー、ヘルマン・キュンネ、アントン・シュミット、
- 第4駆逐隊:ヴォルフガング・ツェンカー、エーリッヒ・ケルナー、エーリッヒ・ギーゼ、ベルンド・フォン・アルニム
- ナルヴィク攻略部隊(フリードリッヒ・ボンテ代将)
- イギリス海軍:駆逐艦5隻
損害
- ドイツ海軍
- 沈没:駆逐艦ヴィルヘルム・ハイドカンプ、アントン・シュミット
- 大破:駆逐艦データー・フォン・レーダー、ゲオルグ・ティーレ、ベルンド・フォン・アルニム
- 中破:駆逐艦ハンス・リューデマン
- 小破:駆逐艦ヘルマン・キュンネ
- イギリス海軍
- 沈没:駆逐艦ハーディー、ハンター
- 大破:駆逐艦ホットスパー
- 中破:駆逐艦ハヴォック