舞踏会の手帖
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
舞踏会の手帖 Un carnet de bal |
|
監督 | ジュリアン・デュヴィヴィエ |
---|---|
出演者 | マリー・ベル フランソワーズ・ロゼー |
音楽 | モーリス・ジョーベール |
撮影 | フィリップ・アゴスティーニ ミシェル・ケルベ ピエール・ルヴァン |
編集 | アンドレ・ヴェルサン |
公開 | 1937年9月9日 ![]() |
上映時間 | 144分 |
製作国 | フランス |
言語 | フランス語 |
舞踏会の手帖(Un carnet de bal)は、1937年のフランス映画。ジュリアン・デュヴィヴィエ監督。我が国では翌年封切られて、好かれ、戦後にも上映された。マリー・ベルの相手役に、当時の名優たちが次々と出演する。
目次 |
[編集] あらすじ
未亡人になった若いクリスチーネが、16才の時の初めての舞踏会の手帖を頼りに、むかしの踊り相手を訪ねて回る。
ジョルジュの家では、母親が迎えた。クリスチーネに恋していた彼は、彼女の結婚を知って自殺し、母親は狂っていた。
文学少年だったピエールは、キャバレーのあるじ兼泥棒に崩れていた。クリスチーネがむかし通りに唱える詩に付き合ううち、警察の手が回って引かれて行く。
作曲家志望だったアランは、神父になっていた。恋人に捧げる曲をピアノで弾いたら、恋人は耳もかさず、ほかの男と笑い興じていたと、当の相手のクリスチーネに、三人称で語る。
詩人気取りだったエリックは、アルプスのガイドである。久し振りのクリスティーネと意気投合して、無人の山小屋に同宿しようと決めた時、遭難事件発生をふれる鐘が響き、山男は直ちに雪の斜面を滑りくだる。
政治家を目指したフランソワは、田舎町の大立者の町長で、その再婚の挙式に町じゅうが湧いていた。ちょうどいい、式に出てくれとクリスティーネを迎え、自作自演のワンマン挙式を陽気に進めるが、その裏で彼は、ならず者の養子に手を焼いていた。
ティエリーは、医者にはなっている。しかし、堕胎で稼ぐ陰の医者で、精神障害の発作に悩んでもいる。クリスティーネと貧しい食卓を囲むうちにそれが出て、彼女は妻女に、二度とくるなと追い出される。
生れ故郷の町では、ファビヤンが美容師を愛想よくやっている。むかしの会場で舞踏会があるからと、誘う。16才という少女は、初めての舞踏会に興奮しているが、今の目には安手で、クリスティーネに残る20年前の、夢のような思い出ががっかりする。
旅から帰ると、むかし恋したジェラールの住所が知れた、すぐ近くだという。行ってみる。直前に世を去っていた。遺した豪邸が今日人手に渡ると、みなし児がいう。クリスティーネは彼を引き取り、母親の愛を注ぐ気になった。初めての舞踏会に送り出す時にいう。「少し緊張するでしょう。初めての煙草の時くらいに。」……
[編集] データ
- 題名:舞踏会の手帖(Un carnet de bal)
- 制作会社:シグマ(Sigma)
- 監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ
- 助監督:シャルル・ドラ(Charles Dorat)
- シナリオ: ジュリアン・デュヴィヴィエ、アンリ・ジャンソン(Henri Jeanson)、イヴ・ミランドfr:Yves Mirande (Yves Mirande)、ジャン・サルマン(Jean Sarment)、ピエール・ヴォルフ(Pierre Wolff)、ベルナール・ジマー(Bernard Zimmer)
- 音楽:モーリス・ジョーベール(Maurice Jaubert)
- 撮影:フィリップ・アゴスティーニ(Philippe Agostini)、ミシェル・ケルベ(Michel Kelber)、ピエール・ルヴァン(Pierre Levent)
- 編集:アンドレ・ヴェルサン(André Versein)
- 装置:ポール・コラン(Paul Colin)、ジャン・ドゥアリノ(Jean Douarino)、セルジュ・ピメノフ(Serge Piménoff)
- 形式:画面比1.37:1の白黒、モノーラル音声、35mm
[編集] 配役
- クリスチーヌ:マリー・ベル (Marie Bell)
- ジョルジュの母:フランソワーズ・ロゼー (Françoise Rosay)
- ピエール:ルイ・ジューヴェ (Louis Jouvet)
- アラン:アリ・ボール (Harry Baur)
- エリック:ピエール・リシャール=ウィルム (Pierre Richard-Willm)
- フランソワ:レイミュ (Raimu)
- ティエリー:ピエール・ブランシャール(Pierre Blanchar)
- ファビアン:フェルナンデル (Fernandel)
[編集] 受賞
[編集] その他
わが国での公開は、1938年6月で、日中戦争のさなかの重苦しい「非常時」に、人生のはかなさを歌い上げる感じのこの映画は、広く好かれた。しかし、太平洋戦争を始めた翌年、軍人政府は、享楽的退廃的であるとして、上映を禁止した。
なお、クリスチーネがキャバレーでピエールと唱え合う詩は、ポール・ヴェルレーヌの「感傷的な対話」(Colloque sentimental)である。