西尾忠尚
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西尾 忠尚(にしお ただなお)は、遠江国横須賀藩の第2代藩主。
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時代 | 江戸時代前期から中期 | |||
生誕 | 元禄2年(1689年) | |||
死没 | 宝暦10年3月10日(1760年4月25日) | |||
別名 | 千次郎(幼名)、忠直(初名) | |||
戒名 | 高風院徳厳道樹 | |||
墓所 | 静岡県掛川市西大渕の龍眠寺 | |||
官位 | 従五位下、播磨守、隠岐守、従四位下、侍従 | |||
幕府 | 奏者番兼寺社奉行→若年寄→老中 | |||
藩 | 遠江横須賀藩主 | |||
氏族 | 西尾氏 | |||
父母 | 父:西尾忠成 | |||
兄弟 | 西尾忠尚、酒井忠告 | |||
妻 | 正室:京極高豊の娘 | |||
子 | 娘(西尾忠需室)、養子:西尾忠需 |
元禄2年(1689年)、初代藩主・西尾忠成の四男として生まれる。元禄9年(1696年)9月21日に世子となる。元禄16年(1703年)12月21日に従五位下、播磨守に叙任する。正徳3年(1713年)7月23日、父の隠居により家督を継いで藩主となり、8月7日に隠岐守に転任する。
享保17年(1732年)3月15日、奏者番と寺社奉行を兼任という形で任命された。享保19年(1734年)9月25日に若年寄に任じられる。延享2年(1745年)9月1日、遠江において5000石を加増され、9月28日に従四位下に昇叙した。延享3年(1746年)5月15日から延享4年(1747年)まで老中を務めた。延享3年(1746年)9月1日には侍従に叙任される。
寛延2年(1749年)12月15日、遠江において5000石を加増され、横須賀藩は3万5000石の大名となる。
宝暦元年(1751年)からも老中を務めたが、在職中の宝暦10年(1760年)3月2日に病に倒れ、回復することなく3月10日に江戸辰の口にて死去。享年72。
後を養子の西尾忠需が継いだ。
なお、静岡県掛川市横須賀で4月第1週に行われる祭礼である遠州横須賀三熊野神社大祭は、幕府の要職を歴任して江戸暮らしが長かった忠尚が、江戸の文化を横須賀に伝えて始まったものである。
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