酒井家次
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
酒井 家次(さかい いえつぐ、永禄7年(1564年) - 元和4年3月15日(1618年4月10日))は戦国時代から江戸時代の人物。徳川氏の家臣。酒井忠次の長男。母は徳川家康の祖父・松平清康の娘で、家康の従兄弟にあたる。臼井藩主、高崎藩主、高田藩主。左衛門尉系酒井家初代。幼名は小五郎。宮内大輔、左衛門尉。
正室は榊原政吉の娘。子に酒井忠勝(長男)、酒井直次(次男)、酒井忠重(三男)、酒井勝吉(四男)、酒井了次(五男)、酒井忠時(六男)、酒井政時(七男)、娘(久松松平忠良正室)、娘(水谷勝隆正室)、娘(内藤忠興正室)、娘(里見忠英室)、娘(島田重利室)、娘(高力一成室)、娘(管沼忠隆正室)ら。
[編集] 生涯
幼少より家康の家臣として仕え、天正16年(1588年)、父の忠次の隠居に伴って家督を継いだ。天正18年(1590年)の小田原征伐後、家康から下総国臼井(碓井)に3万7000石を与えられる。しかし、松平信康の自害事件などが尾を引いて、父同様に家康からは疎まれていたとも言われている。関ヶ原の戦いでも活躍した。
慶長9年(1604年)に上野国高崎5万石に移封。その後は江戸城の留守居役や、大坂の陣では、力戦して数多くの敵を倒し活躍したと言われている。元和2年(1616年)に越後国高田城10万石に移封、元和4年(1618年)に55歳で死去。
[編集] 関連項目
|
|
|
|
|
|
|
|
|