野呂一生
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野呂 一生(のろ いっせい、1957年1月1日 - )は、日本を代表するフュージョンバンド、カシオペアのリーダーであり、ギターを担当。また、カシオペアの曲の大半を作曲している。東京都世田谷区出身。趣味は、料理と手品。血液型A型。
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[編集] 来歴
- 1月1日に生まれたために“一生”と名付けられる。中学時代にギターを手にし、東京都立玉川高等学校在学中から、エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジのロック三大ギタリストの演奏をコピーし、アマチュアながら都内では天才ギタリスト野呂一生の名が次第に知られはじめる。更にジョー・パスらジャズギターの名手を手本として、ロックに留まらない特有の奏法をマスター。大学進学後、高校時代に出会った櫻井哲夫と共にカシオペアの母体となるバンドを結成。バンドの名称をカシオペアと改めた後、1976年にヤマハのアマチュア・バンド・コンテスト「EAST WEST '76」に出場。ベストギタリスト賞に輝く。翌1977年、バンドに向谷実を加えて同コンテストに再出場。二年連続のベストギタリスト賞と最優秀グループ賞を受賞。これを足がかりに1979年5月にカシオペアはアルバム『CASIOPEA』でレコードデビューする。
- 優れた作曲能力でカシオペアの数々の名曲を生み出し、それらをライブで完全再現させる演奏力とともに高い評価を得た。さらに、バンドのリーダーで、大半の曲を作曲しながらも、単に自分の担当楽器のギター中心の音楽にせず、一つの曲の中でバンドの全員をバランスよく目立たせながらアンサンブルをも重視する編曲手法はそれまでになかったもので、その後の日本のフュージョンのスタイルに多大な影響を与えた。
- 田中康夫の1980年発表の処女作、「なんとなく、クリスタル」で主人公の女性の恋人、“淳一”のモデルとなった人物と言われるが、当時の野呂本人と“淳一”の性格やスタイルはあまりにかけ離れていると野呂を知る当時の友人達は語っていた。1981年に映画化の際、その“淳一”役として出演を持ちかけられたが断った。ちなみに、田中康夫との個人的面識は今も昔もない。
- カシオペアが12枚目のアルバムを出した後の1985年に初めてのソロ・アルバム『SWEET SPHERE』を制作。また、1987年にはザ・スクエア(現・T-SQUARE)の安藤まさひろと是方博邦の3人で”オットットリオ”なるギターセッションを組み、現在まで2枚のライブアルバム、1枚のスタジオ収録アルバムを残す。
- 1991年、デビュー時から親交のある作曲家・三枝成彰の誘いにより、カシオペアの同じメンバーの鳴瀬喜博とともに東京音楽大学の講師に就任し、現在に至るまで「映画・放送音楽コース」で学ぶ生徒達にギター奏法や電気楽器のノウハウを指導していく。その後、同大学の客員教授に昇格する。
2001年にはヴァイオリンのように指板にフレットがないフレットレス・ギターを全編に使ったソロアルバム『UNDER THE SKY』制作。カシオペアの余暇の範囲で作っていた過去のソロとは違うことに会心を得て、フレットレスギターを使ったリーダープロジェクトを立ち上げ、レコーディングメンバーでのライブ活動、そして続編にあたるアルバム『LIGHT UP』も制作した。その時はYAMAHA特注のフレッテッドとフレットレスのダブルネックギターで演奏する事もある。また最近はパーカッション奏者の斉藤ノブのリーダー・バンド、Vibesにも立ち上げから参加。バンドは現在まで2枚のアルバムを制作している。
2005年秋、先述のリーダープロジェクトで行動を共にするピアニスト・和泉宏隆と女性パーカッション奏者・仙道さおりらとのアコースティック・トリオ、Voyageを活動開始させた。
2006年8月1日、野呂からの「一切の活動を休止したい」との意向により、カシオペアのレコーディング・ライブ活動を休止すると発表した。
[編集] ディスコグラフィ
[編集] ソロアルバム
- 「スィート・スフィア」 (SWEET SPHERE , 1985年)
- 「ヴィーダ」 (VIDA, 1989年)
- 「トップ・シークレット」 (TOP SECRET, 1996年)
- 「アンダー・ザ・スカイ」(UNDER THE SKY, 2001年)
- 「ライト・アップ」 (LIGHT UP, 2002年)
- 「ベスト・イッセイ」 (BEST ISSEI, 2003年)
[編集] オットットリオ
- 「SUPER GUITAR SESSION HOT LIVE!」(1988年)
- 「SUPER GUITAR SESSION RED LIVE!」(1988年)
- 「TRIPTYCH」(1998年)
[編集] プロデュース作品
- 子供向け企画アルバム「スーパーマンサンタ」(1986年)・・・向谷実との共同プロデュース
- 楠木勇有行「CHOOSE ME」(1987年)
[編集] ゲスト参加
- 是方博邦「FISH DANCE」(1987年)
- 織田哲郎「CANDLE IN THE RAIN」(1989年)
- 中西圭三 シングル「TICKET TO PARADISE」(1992年)
- ジンサク「WIND LOVES US」(1993年)
- ジンサク「BLAZE OF PASSION」(1995年)
- 櫻井哲夫「21世紀の扉」 (1999年)
- 本田雅人「Real-Fusion」(2000年)
- 青木智仁「EXPERIENCE」(2000年)
[編集] インタビュー集
- ヤマハ 野呂一生インタビュー
- YAHOO!オークション「ギターラボ」 野呂一生インタビュー
- キヤノンEnjoy IXY DIGITAL Webstation with iPod 「A day in the life」Vol.5 Artistic Style ギタリスト 野呂一生
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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