金烏玉兎集
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金烏玉兎集(きんうぎょくとしゅう)とは安倍晴明が編纂したと伝承される占いの専門書。実際は晴明没後(成立年代は諸説ある)に作られたものである。
正式名称は「三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集(さんごくそうでん おんみょうかんかつ ほきないでん きんうぎょくとしゅう)」という。
さらに後年には読みやすくした「簠簋抄」というものも出版された。ちなみに「簠簋」とは古代中国の祭器のこと。 伝承によれば、この書は天竺で文殊菩薩が作り、その後伝説上の晴明の師・伯道上人に伝えられ、晴明に伝えられたとも言う。(別説では阿倍仲麻呂に伝えられたが、仲麻呂が帰国できずに唐で死去したため、吉備真備によって日本に持ち込まれ仲麻呂の子孫とされた晴明に伝承されたともいわれる)
この書の冒頭には、これがどれほど重要であったかを示すエピソード(逸話)がのせられている。
帝の御前で晴明と術比べをして負けた播磨の道摩法師(蘆屋道満)はその後晴明の弟子になったという。しかし、彼は晴明を追い落とそうと狙っていた。そして晴明がある秘書(金烏玉兎集)を所有していることを知った。そこで道摩は晴明の妻・梨子と不倫関係となり、その秘書がどこにあるかを聞き出そうとした。自分と晴明の妻との仲がより親密になったと見計らった道摩は彼女からその秘書が石の箱に入っていることを聞き出した。しかし、そのあけ方は妻にも分からないと言う。
道摩はその箱を晴明が不在のときに見せてもらい、何とかして箱を開けてしまった。そして晴明が帰宅した時に「私はこの道の秘書を授かった」と彼に告げた。晴明は「その秘書は自分が唐に渡って修行してようやく手に入れたもの。お前が持っているはずが無い」と道摩を叱った。道摩は「今が晴明を抹殺する好機」と「ではその秘書を私がもっていたらその首をいただく」と言い、晴明はそれに応じてしまった。そして道摩は懐からあらかじめ書き取っておいた金烏玉兎集を見せ、晴明の首を刎ねた。
同じころ、晴明に金烏玉兎集を授けた伯道上人は晴明が殺されたことを察知し、日本にやってきた。そして無残に殺された晴明の骨を拾い集め、術を掛けて蘇生させた。そして弟子を殺された報復をするため、生き返った晴明と共に道摩と、晴明を裏切った上に道摩の妻となっていた梨子の元へ向かった。
伯道は道摩に「晴明はいるか」と尋ねた。道摩は「かつてここにいたが、首を刎ねられて死んだ」と答えた。すると伯道が「そんなはずは無い。先ほど彼と会った」と言った。道摩は「貴方の言うことこそ、そんなはずはない。もし晴明が生きていたらこの首を差し上げよう」と答えた。そして伯道は先ほど蘇生した晴明を呼び道摩に見せた。こうして道摩は約束通り首を刎ねられ、梨子も殺害したという。
このことからこの書をみだりに、浅はかな気持ちで読むことは死に値するとして、この書が秘伝中の秘伝であるということをあらわし、この話を冒頭に置くことによってこの書の秘密性・神聖性を高めた。