鈴木寛
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生年月日 | 1964年2月5日 |
出身地 | 兵庫県明石市 |
最終学歴 | 東京大学法学部公法学科卒 |
学位 | 法学士(東京大学) |
前職 | 官僚(通商産業省) 慶應義塾大学助教授 NPO法人理事 灘中学校・高等学校教諭 |
役職 | 参議院憲法調査会委員 参議院政治倫理・選挙制度特別委員会委員 参議院文教科学委員会理事 |
当選回数 | 1回 |
世襲の有無 | 世襲ではない |
選挙区 | 参議院東京都選挙区 |
所属党派 | 民主党 |
党の役職 | 「次の内閣」文部科学大臣 |
会館号室 | 参議院議員会館635号室 |
ウェブサイト | http://www.suzukan.net/ |
鈴木 寛(すずき かん、昭和39年(1964年)2月5日 - )は、昭和、平成期の日本の官僚、政治家、社会学者。参議院議員、早稲田大学客員教授。筆名に「鈴木康策」。
昭和39年(1964年)兵庫県明石市に生まれる。灘高校を経て、昭和61年(1986年)東京大学法学部公法学科を卒業し、同年通商産業省に入省する。資源エネルギー庁勤務を皮切りに国土庁出向後、本省に戻り、産業政策局、生活産業局に勤務する。その後シドニー大学特別研究員としてオーストラリアに渡り、帰国後、通産省機械情報産業局に勤務する。平成5年(1993年)山口県に出向し、同県工業振興課長。平成7年(1995年)通産省に戻り、産業政策局取引信用室総括室長補佐。平成9年(1997年)中央大学総合政策学部兼任講師、通産省情報処理振興課総括課長補佐。平成10年(1998年) 通産省電子政策課総括課長補佐を歴任する。平成11年(1999年)通産省を退官し、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)環境情報学部助教授に就任する。また、平成12年(2000年)には、ラグビー選手の平尾誠二らとNPO法人スポーツ・コミュニティ・アンド・インテリジェンス機構(SCIX・シックス[1])を設立する。また、母校の灘中学校・高等学校で情報科の教諭も務めた。
平成13年(2001年)第19回参議院議員通常選挙に民主党公認で、東京選挙区から立候補し、当選する。参議院文教科学委員会、法務委員会などに所属し、民主党では、経歴を買われ、広報部門を担当、民主党の討論誌D-Journal、並びにインターネット放送局D-vision編集長を務めた。
平成17年(2005年)9月前原誠司新代表の下、「次の内閣」の文部科学大臣に就任した。
[編集] 著書
- 「中央省庁の政策形成過程」
- 「インターネットの素朴な疑問」
- 「コミュニティー・スクール構想」
- 「中学改造」
- 「ボランタリー経済の誕生」(共著)
- 「IT2001何が問題か」
- 「情報収集力」
- 「世界でいちばん受けたい授業」
- 「世界でいちばん受けたい授業2」
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- Suzukan.net(公式ホームページ)
- 鈴木寛氏動画メッセージ「教育後進国日本」(超人大陸)