鏡王女
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
文学 |
ポータル |
各国の文学 記事総覧 |
出版社・文芸雑誌 文学賞 |
作家 |
詩人・小説家 その他作家 |
鏡王女(かがみのおおきみ、生年不詳 - 天武天皇12年7月5日(683年8月5日))は藤原鎌足の正妻。代表的な万葉歌人。『万葉集』では「鏡王女」・『日本書紀』では、「鏡姫王」と記されている。鏡女王とも呼ばれる。藤原不比等の生母とする説が有力である。
鏡王女の素性は額田王以上に謎に包まれており、額田王の姉という説があるが、『日本書紀』には二人が姉妹だという記述はなく、確証はない。そのため、近年では二人の姉妹説を積極的に支持する研究者は見られなくなってきているようだ。しかし、額田王の父・鏡王との血縁関係はなかったとしても、同じ「鏡」という名が付いている事から、同じく、鏡を作る氏族に養育された可能性はある。また、鏡王女には舒明天皇の皇女だという説もある。
最初、天智天皇の妃だったが、後に藤原鎌足の正妻となる。鎌足の病気平癒を祈り、天智天皇8年(669年)に山階寺(後の興福寺)を建立した。
『日本書紀』の七月の項に「丙戌の己丑(四日)に、天皇、鏡姫王の家に幸して、病を訊ひたまふ。庚寅(五日)に、鏡姫王薨せぬ」とあり、天武天皇が見舞いに来たが、その翌日の天武天皇12年7月5日に亡くなった事がわかる。『万葉集』には四首の歌が収録されている。天智天皇・額田王・藤原鎌足との、歌の問答が残されている。「神奈備の石瀬の社の呼子鳥いたくな鳴きそ我が恋まさる」は、「神奈備の石瀬の社の呼子鳥よ、そんなに激しく鳴かないでおくれ。私の恋しい思いが募るばかりだから」という意味である。この歌は、鏡王女が鎌足の死後、彼を思って作った歌だという説がある。
現在墓所に比定されているのは奈良県桜井市にある小墳丘で、舒明天皇陵の近所にあり、現在は談山神社の管理となっている。
カテゴリ: 万葉歌人 | 飛鳥・奈良時代の皇族 | 683年没