開成学校
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開成学校(かいせいがっこう)は、東京大学の前身となった明治時代の教育機関。
もともとこの機関は、江戸時代の1857年(安政4年)蕃書調所(ばんしょしらべしょ)として外国の文献を研究、教育するための学校として新設されたものが、後に開成所と改名されたものである。「開成」という言葉は、中国の『易経』繋辞上伝の中の「開物成務」(あらゆる事物を開拓、啓発し、あらゆる務めを成就する)に基づくといわれる。翻訳学問だけでなく、みずから学を実務に繋いでいくという意図を込めたものである。
これが明治維新後、1870年(明治3年)開成学校と改称、全国から学生を集めて再スタートを切ったのがこの学校ということになる。これはさらに大学南校と改称、1874年(明治7年)には更に東京開成学校と名前を代え、1877年(明治10年)には元の東京医学校と合併し、東京大学(旧制)⇒帝国大学⇒東京帝国大学となって、現在の東京大学(新制)に繋がっていく。さらに東京開成学校予科は同じく官立の東京英語学校と合併し、東京大学予備門(第一高等中学校、のちの一高)となる。
このような歴史的に謂れある名前を持った学校であるため、明治以降、この「開成」を名称に冠する学校は他にも、小学校、中学校を問わずいくつか存在する。
[編集] 関連項目
- 蕃書調所 - 開成学校の前身機関
- 東京大学 - 開成学校の後身機関
- 外国語学校 (旧制)