関盛信
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関 盛信(せき もりのぶ、?- 1593年(文禄2年)6月)は、戦国時代の武将。関一政の父。妻は蒲生定秀の娘。官は中務大輔。安芸守。
伊勢国の有力な国人領主で伊勢亀山城を本拠地としていた。盛信は日野城主蒲生定秀の娘を娶り、六角氏に属していた。
織田信長が伊勢に侵攻してくると、神戸氏等一族が次々と降る中で唯一独立を保っていたが、抗しきれず信長に降伏した。 神戸信孝に属したが不和であったため信長の怒りを買い、元亀4年(1573年)神戸具盛同様近江日野城に幽閉された。
1582年、織田信孝が四国征伐の総大将として大坂へ出征すると、盛信も許されて亀山城に戻る。
信長死後は信孝を離れ、蒲生氏に属して羽柴秀吉の家臣となる。 居城亀山城は滝川一益に落とされたが後に奪還し、亀山城主として蒲生氏郷の与力大名となった。 1584年の小牧・長久手の戦いなどにも参戦した。晩年は万鉄と号し、家督を関一政に譲っていた。1593年に奥州白河で死去。
[編集] 参考文献
- 三ツ村健吉 註訳『勢州軍記 上』三重県郷土資料刊行会、1984年
- 三ツ村健吉 註訳『勢州軍記 下』三重県郷土資料刊行会、1987年