非核三原則
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非核三原則(ひかくさんげんそく)とは、「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という、日本国の国是とされている原則である。
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[編集] 起こり
日本政府が最初にこの原則を提示したのは、1967年12月11日の衆議院予算委員会において、日本社会党委員長の成田知巳が、米国から返還の決まった小笠原諸島への核兵器再持ち込みの可能性について政府に質問した際、佐藤栄作内閣総理大臣が、日本は「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という三原則を示したときである。佐藤は、翌1968年1月の施政方針演説でも、この三原則を示した。
その後、返還後の沖縄においても同原則が適用されるのかという問題に関して三木武夫外務大臣は当然適用されると主張したのに対して、返還交渉がこじれる事を危惧した佐藤が三木発言を非難(その後、三木は自由民主党総裁選挙に佐藤の対抗馬として出馬)するなどの紆余曲折もあったが、最終的に佐藤は沖縄にも適用させるべきという決断をした。これを受けて沖縄返還協定の付帯決議として、1971年11月24日に国会で「非核兵器ならびに沖縄米軍基地縮小に関する決議」として決議された。
法律ではないため、これ自体に法的な拘束力はないが「核兵器を持たず、作らず」の日本独自の核保有に関する2項目については、1955年に締結された日米原子力協力協定や、それを受けた国内法の原子力基本法、及びIAEA、NPT等の批准で法的に禁止されている。
この非核三原則を示したことによって佐藤栄作は1974年にノーベル平和賞を受賞した。
[編集] その後
歴代の内閣はこの三原則を遵守することを表明しており[1] 、衆議院において非核三原則を遵守する旨の決議がおこなわれているが、実際に守られているかどうかは疑わしい点が多い。実際「持ち込ませず」に関しては、ジーン・ラロック国防情報センター所長(退役海軍少将)の証言、ライシャワー駐日大使の発言など、それに反することを過去の日本政府がおこなったとする証拠もあるとされる。
米国は、自国艦船の核兵器の搭載について「肯定も否定もしない」という原則を堅持しているが、日本に寄港する米軍艦船が核兵器を保有していない、とは軍事の常識としてあり得ないとされる(上述ラロック証言より)。これについて日本政府は「事前協議がないのだから、核もないはず」としているが、これは逆に「協議を申し出るか否かは米軍の自由であり、協議抜きで内密に持ち込む」可能性をも物語っている。
神戸市が現在、三原則の自治体版とも言える「神戸方式」を採っている(神戸港に寄港する全ての軍艦船に対して「非核証明書」提出を求める)。これゆえ米海軍は神戸港には来ない。イギリス海軍は逆に証明書を提出、“違反した場合は寄港拒否も甘んじて受ける”と表明している。
2006年10月、北朝鮮の核実験実施を受けて一部で日本核武装論が再燃する中、中川昭一自民党政調会長の核武装論を肯定する発言をしたということに対して非難が集中したが、本人がサンデープロジェクトの中で言ったのは核“議論”であり、核武装を肯定したつもりではない。官邸は、沈静化のために安倍晋三総理や塩崎恭久官房長官らが非核三原則の厳守を強調した。しかし、麻生太郎外務大臣等は、“核保有及び武装の論議自体をも許さないかのような状態は、憲法の保障する言論の自由を奪っている”として、議論自体は認められるべきとの見解を示している。この事に関して、一部の識者からは「『核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず、議論せず』の非核四原則だ」という意見が出されている。中川(昭)政調会長も麻生外相も、議論はすべきといっているが、すぐ核武装すべしという立場ではない。
[編集] 脚注
- ^ 2002年5月30日、福田康夫内閣官房長官が「非核三原則は、国際情勢が変化したり、国民世論が変化したり、国民世論が核をもつべきだとなれば、変わることがあるかもしれない」「核兵器は理屈から言って持てる」「政策判断として持つのはやめるというのが非核三原則」という歴代内閣の流れを覆すかの様な発言をして、物議を醸した。