高松中央商店街
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高松中央商店街(たかまつちゅうおうしょうてんがい)は、香川県高松市中心部にある商店街の総称である。
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[編集] 概要
商店街のほぼ全てを覆うアーケードは総延長が2.7kmあり、総延長では日本一の長さを誇る(大阪天神橋筋商店街の総延長が2.6km)。一日の往来は約28万人で、約800の小売店、飲食店が軒を連ねている。主に丸亀町周辺には全国チェーンの店や高級品を扱う店鋪が多く、南新町、常磐街などに南進する程に庶民的な店が増えて行く傾向にある。
かつては、大都市の商店街にも劣らない程の賑わいを見せていたが、近年では他の地方都市と同様に、郊外の大型ショッピングセンターやロードサイドショップに消費者が流れ、有力テナントが撤退するなど、状況は劣勢になって来ている。このため、現在は丸亀町、三越高松店周辺では大規模な再開発事業が始まっており、商店街の起爆剤として期待されている。その他、このほど高松市内を中心に新規出店の店舗やおしゃれな店舗が開店し始め、高松も少しながらおしゃれでにぎやかになってきているが、この商店街も空き店舗等に若者向けの服や雑貨、美容院などができ始め、若者向けの店舗も増えてきている。尚、1990年代までは90%がたの店鋪が月曜定休(三越に合わせていた)で、現在も月曜定休の店鋪は半数ほどに上る。
平日朝7時半~9時までは自転車通勤・通学の会社員・学生が大量に通り抜ける光景は「一昔前の北京」と県外から来た人に揶揄されるほど多い。これは公共交通機関が途上にあり通勤手段が自動車に次いで自転車が多いためである。
[編集] 兵庫町商店街
東西に伸びる通り。江戸時代に高松藩の武器庫があったことからこの名がついた。現在は中央通りを横切り、周りにビジネス街や官庁街にあることから、平日はビジネスマンが多くそれ向けの衣料品店などがあるが空き店舗も目立つ。
[編集] 片原町商店街
東西に伸びる通り。江戸時代に成立した町であるが、高松城の堀を埋めた時に町の片方が原っぱとなったためこの名がついた。商店街の中には菅原道真公を祀り、地元の人々に「古天神さん」と呼ばれる「華下天満宮」がある。現在琴電の線路をはさんで西は繁華街、東は庶民的な食料品店などが多い。高松三越に隣接していることからデパート客も多い。西側は再開発事業の一環でマンションと市民施設をかねそろえた再開発ビル(むうぶ片原町)がある。
[編集] 丸亀町商店街
高松中央商店街に於いて中心的な商店街。南北に伸び、この商店街を境に以西がビジネス街、以東が繁華街や歓楽街である。最も歴史が古く、高松を開拓した生駒親正により高松城築城と同時に造られた通りである。那珂郡丸亀(現在の丸亀市)から町人を連れて来て商売をさせたのが名前の由来。当時から現在に至るまで最も人通りが多く、また賑わいがある。幅員は狭い。現在は衣料品店が多く、書店などもあるため、老若男女を問わず幅広い年齢層の人通りがある。とはいえ高度経済成長の最盛期に比べ人通りは減り、空き店舗も増えた為、現在北から順に再開発計画が進行中である。北端近くの百十四銀行高松支店は現本店が完成した1966年まで本店だった店舗で、1945年7月4日の高松空襲を生き抜いた数少ない建物である。2006年12月、北の端にA街区再開発ビル「高松丸亀町壱番街」が完成した。現在高さ日本一のアーケードを建設している。前述の百十四銀行の建物は現状のまま残され営業されている。
[編集] ライオン通商店街
丸亀町商店街の一本東にある南北に伸びる通り。飲食店が多い。他の商店街が夜になるとゴーストタウン化してしまうのに対し、この商店街は繁華街や歓楽街の真ん中を突っ切っていることもあり、昼夜人通りがある。名前の由来はこの通りにあった洋画系映画館「ライオンカン」(オーエス系列、2001年閉館)から。
[編集] 南新町商店街
高松の町の南限がこの辺りであった頃、南にある新しい町という意味でつけられた名前。高級衣料品店、ジュエリー店の他に若者向けの雑貨店にライブハウス(高松オリーブホール)もあり、他の商店街に比べ幅員が広い。この通りにあるマクドナルド高松店は1975年の開業で、全国的にも早い部類に入る(当初は常磐街との角にあった。のち現在の店舗に移転)。またマクドナルドの真向かいには大手アニメショップ、アニメイト高松店も2005年7月に開業している。2006年2月には岡山に本店があるメイド喫茶が出来、最大3店舗あったが9月までにすべて撤退。2007年2月になって同じ商店街の別の場所でまた出店している。
[編集] 常磐町商店街
他の商店街と瓦町駅を結ぶ東西の通りで、「常磐街」とも呼ばれる。戦後に瓦町・常磐町地区の一部として発展した歴史を持つ。戦前、南瓦町と呼ばれていたこの地区は戦後、同地区内にある「旅館常磐本館」から名前をとり常磐町と呼ばれるようになった。闇市から高度経済成長期に繁華街として発展した為、比較的歴史は浅い。この通り沿いには邦画系の映画館と大手スーパー2店舗(旧ジャスコ高松店と旧ダイエー高松店)があったが、2004年春までには全滅し(ジャスコは1989年に閉店し、改築されてパチンコ店に様変わりしたものの現在は閉鎖)、その影響で衰退ぶりは高松中央商店街の中でも際立っていることから、治安の悪化が懸念されている。同年6月に閉鎖された高松OPA(旧ダイエー高松店。この中にセントラル高松1=旧高松東映があった)の巨大な廃墟が今も残る。昼間でも薄暗いため、ここを校区に持つ高松市立築地小学校からは「常磐街に近寄ってはいけない」と実際に言われた。現在では空き店舗が目立つが、若者向けの衣料品店や雑貨屋などがあり、低い年齢層の往来が目立つ。2007年3月に「しごとプラザ高松」が花ノ宮町から移転された。これにより人の出入りが多くなり衰退に歯止めがかかるか注目されている。
[編集] 田町商店街
高松中央商店街の中で最も南に位置する。田町は江戸時代末期に周りを田畑が取り囲んだ通り沿いに町が出来たことからそう呼ばれるようになった。現在では庶民的な食料品店などがあるが同時に空き店舗もかなり多い。この商店街の核となるのがマルナカ田町店(ちなみにここは同社発祥の地で、全店舗の中で唯一先代ロゴの看板をたてている)。かつては南新町・常磐町の交差する位置に三越のファッションビルと映画館「高松東宝」があったが現在は閉鎖・解体され跡地はビジネスホテルとイタリアンパスタの店・百円ショップができている。