M26パーシング
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M26パーシング重戦車 | |
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性能諸元 | |
全長 | 8.65 m |
車体長 | 6.33 m |
全幅 | 3.51 m |
全高 | 2.78 m |
重量 | 41.9 t |
懸架方式 | トーションバー方式 |
速度 | 40 km/h |
行動距離 | 161 km |
主砲 | 50口径90mm砲M3×1 |
副武装 | 12.7mm重機関銃M2×1 7.62mm機関銃M1919×2 |
装甲 | 前面101.6mm 側面76.2mm |
エンジン | フォードGAF6002B V型8気筒液冷ガソリンエンジン 500 hp / 2,600 rpm |
乗員 | 5名 |
M26パーシング とはアメリカ軍が第二次世界大戦末期に実戦配備した重戦車(後に中戦車に分類変更)で、ドイツ軍の重戦車に対抗するために開発された。今までの米軍戦車に付けられた愛称は供与された英軍によるものであったが、本車は初めて米軍自身によって命名された。「パーシング」の名称は第一次世界大戦時のアメリカの将軍、ジョン・パーシングからとったものである。
目次 |
[編集] 概要
アメリカ軍は、第二次世界大戦中期にM4戦車を主力としていたが、同戦車は機械的信頼性には優れていたが、チュニジアやシシリー島、イタリア戦線でのティーガー戦車との交戦において、装甲火力共に正面から対抗できるものではないことが判明していた。
その当時、アメリカ軍の戦車に与えられていた使命は歩兵を支援して陣地を突破することであり、敵戦車に対しては軽快で強力な砲を持つ駆逐戦車をあてることを基本としていた。このため米軍が製作した重戦車はM6やT14のような歩兵戦車的な代物しか無く、しかもAGF(陸軍地上軍管理本部)の極端な兵器統一思想により大して生産されず、更なる新型の開発に対しても消極的であった。ティーガーに遭遇した経験から要求された、対戦車戦闘能力の期待できる新型として、T25試作中戦車とそれを拡大した感じのT26試作重戦車ができあがっていたが、持論をゴリ押しするAGFの妨害により開発は遅延していた。
特に前線司令官としてティーガーの脅威を知っていたデヴァーズ中将は、ヨーロッパ反攻作戦の開始までにこれに対抗できる重戦車T26E1を量産し、M4戦車5輌に対し1輌を配備すべきだと、陸軍省に対し強く主張したほどであった。しかし「ティーガーは少数であり、滅多に遭遇するものではない」「M4こそが最高であり、十分である」等と主張するAGFのマクネアー中将は新型重戦車の実戦配備に強行に反対した。だがこれはとんでもない間違いであった。実際に西ヨーロッパでの反攻作戦が始まると、前線のアメリカ戦車はティーガーよりも遥かに遭遇率の高いパンターにすら満足に伍すことができず大きな損害を出してしまったのである。また他の戦車や対戦車兵器による損害を加えると、M4の乗員の損耗率は最初の一ヶ月で32%にも達していた。そして兵たちのより強力な戦車を求める声を無視して、ようやく量産可能になった改良型・T26E3の投入を渋り続けたのである。
[編集] ヨーロッパ戦線への投入
1944年12月、ドイツ軍の行ったアルデンヌ攻勢(バルジの戦い)において、まとまった数が投入された重戦車ティーガーIIはM4戦車の限界を白日の下にさらした。実際にこの戦いでドイツ軍の先陣を切って戦ったのはパンターであったが、連合軍にはティーガーに対する恐怖症とでもいうべき戦陣訓が台頭し始め有効な戦闘打開をできずにいる間に、とうとうアメリカ国内の新聞記事で問題とされ、新型戦車の投入がなし崩し的に決定された。1945年1月、T26E3はようやく実戦配備され、ついに同年4月にはM26パーシング重戦車として制式化された。が、すでに戦況は決定的で戦争が終結に向かっており、終戦間際にかろうじて遭遇したパンターやティーガーを撃破してみせた程度であった。
[編集] 太平洋戦線への投入
M26の太平洋戦線への投入は1945年3月末に開始された沖縄戦が初めてだと言われるが、同年2月の硫黄島の戦いに実践評価のため既に投入されていたとする説もある。[1]。
M26は日本軍上層部に「M1重戦車」の名称で認識されていたが、これはアメリカのT1試作重戦車の情報が誤って伝えられたものである。日本軍の認識では「M1重戦車」の装甲は正面で150mm、側面76mmであり、M4中戦車以上のこの強敵にどのように対応するか対策に苦慮していた。
沖縄では日本軍の47mm対戦車砲の待ち伏せ攻撃により、M4に予想以上の損害が発生していた。このため急遽M26が派遣されることとなったが間に合わず沖縄戦は終結、その後は日本本土上陸作戦のために待機したまま終戦を迎えた。
[編集] 朝鮮戦争とその後
M26は1950年に勃発した朝鮮戦争にカテゴリーを中戦車に変更されて投入され、火力と装甲でT-34-85を圧倒した。しかし重量のわりにアンダーパワーであったため、山がちな朝鮮半島では機動性に問題があり、戦局が落ち着くと現場の戦車兵に「M4の方が優れている」などと言われる始末であった。このため後にエンジンとトランスミッションを変更したM46パットンへと発展した。
M26で確立された設計思想は少しずつ改良を加えながら、M60まで引き継がれていった。
[編集] 注釈
- ^ 硫黄島ノ戦訓 「敵ハ初メテM1重戦車ヲ使用セリ」
「M1重戦車」は元山飛行場防衛戦に参加。距離600mで九〇式野砲にて射撃するも貫徹せず、逆に「電波音響探知機」を使用した銃眼射撃により1000mの距離から九〇式野砲陣地を破壊。「M1重戦車」の行動はきわめて慎重で、陣地効力圏外から電波標定による銃眼射撃に徹した。
[編集] 関連項目
第二次世界大戦のアメリカの装甲戦闘車両 | |||
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軽戦車 | |||
M2軽戦車 | M3スチュアート | M22ローカスト | M24チャーフィー | |||
中戦車・重戦車 | |||
M2中戦車 | M3リー | M4シャーマン | M26パーシング | |||
駆逐戦車 | |||
M10ウルヴァリン | M18ヘルキャット | M36ジャクソン | |||
自走砲 | |||
M7プリースト | M8スコット | M12自走砲 | M40 GMC | |||
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