ほていや百貨店
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ほていや百貨店(ほていやひゃっかてん)は1959年(昭和34年)から1977年(昭和52年)まで長野県上田市に存在していた百貨店。
目次 |
[編集] 概要
江戸時代創業の呉服屋である布屋忠兵衛を始まりとして、北国街道沿いの柳町で営業し続け明治時代には「布忠呉服店」と改称。1929年(昭和4年)に現在の国道141号部分である通称百間道路が開通すると「布袋屋呉服店」と改称し建物の半分を洋館風に改築して営業した。
1940年に株式会社・ほていや呉服店と改称すると海野町に2階建て鉄筋コンクリート作りの店舗を建てて移転。戦後百貨店の体裁を整え1959年には百貨店法(現在は廃止、代わりに大規模小売店舗法が置かれている。)に基づき認可され「株式会社・ほていや百貨店」としてスタートする。
1961年に7階建ての店舗を完成させて本格的な百貨店営業を開始。当時からエレベーター・エスカレーターを設置したが上田市内では珍しかったためたちまち人気スポットと化していたという。また、6階テラス(後に屋上)に設置されていた遊園地は子供に人気があり連日にぎわっていたという。
1968年に一度目の増築工事で松尾町側にも入り口が設置され同時に5階に展望大食堂が設置され客足が延び、1972年には二度目の増築工事で階段が増設されていたが、1974年に西友(のちに西武上田店を経てリヴィン上田店)とユニー(のちに廃店)が進出してから客足が低下し、1977年にイトーヨーカドーが長野県第一号店舗として上田店を上田駅前の日本通運上田支店跡にオープンさせると単独での営業すらもままならなくなった。そこで1977年に大手スーパーのジャスコ株式会社(現:イオン株式会社)と提携して生き残りを図ることとなった。これにより独立での営業はこの年をもって終了した。
[編集] 歴史
- 1959年 - 百貨店法による認可を受け設立。
- 1961年 - 7階建てのビル店舗完成。
- 1963年 - 上田電報電話局局内自動化により市外・市外局番が設けられる
- 1968年 - 第一期増築工事完成。入口が2つとなる。
- 1972年 - 第二期工事完成。階段が2つとなる。
- 1977年 - 大手スーパージャスコと提携。正式店舗名が「ジャスコほていや上田店」となったため単独での歴史に終止符。
[編集] 提携後の「ほていや百貨店」
提携後会社自体は傘下の独立企業として存続していた。しかし1982年に呉服店時代から42年間営業していた海野町から常田の昭栄上田工場跡に移転するのを機に信州ジャスコへ吸収合併される事となった。結果ほていや百貨店は1983年の移転後名前のみが残ることとなる。
信州ジャスコは移転後旧ほていや百貨店店舗を「ジャスコほていや中央店」としてリニューアルオープンしたが最上階以上(後に4階以上)が空きフロアとなったため、その場所に置かれていた遊園地・展望大食堂は営業を終了した。そしてほていや百貨店は1994年にジャスコ上田店と改称し、またほていやジャスコ中央店は会社のリストラ策で1999年に閉店したのち、解体され上田市から消滅した。
なお、移転後のほていや百貨店はイオン上田ショッピングセンター内のジャスコ上田店として営業している。移転前のほていや百貨店跡は遊戯設備や催しものの会場や駐車場となった後、穴吹工務店が買取りマンションが建設された。
[編集] 補足事項
客足低下のきっかけとなった1974年進出上田市外大手店舗のうちユニーは創業時「ほていや」と名乗っていた。しかも百貨店になる前の店名は「ほていや呉服店」と経路が同じであった。
カテゴリ: 出典を必要とする記事 | 長野県の企業 | かつて存在した日本の企業 | 上田市