ぼかし表現
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ぼかし表現(-ひょうげん)とは、物事をはっきりと断定しない、または婉曲(遠回し)な表現を使うことで、自らの意見を「ぼかす」ことである[1]。言葉の乱れの端的な事例とされる。
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[編集] 概要
- 物事を「ぼかす」表現は、そう目新しいことではなく、古くから存在するものである。
- しかし、正しい日本語を見直そうという機運が高まるにつれて、とりわけ若者の言葉に顕著なのが、わざわざ「ぼかす」必要のない、またははっきり言い切ることが求められるような場面で、みだりにそうした表現を使ってしまうことで、特にバイト敬語で多く用いられる不必要な「~のほう」や「私的には」「気持ち的には」といった言い方が乱れまたは誤用として議論に上がっているところである。
[編集] 主な事例
[編集] 匿名性を持たせる
- 「某」「さる」など。
- 報道における実態
- 特にNHKニュースでは、一般企業の社名や固有名詞を出してはいけないという決まりがある。例外としてはリコールの届出やその企業に関するニュースなどで適切に判断する必要があるが、拡大解釈されているきらいがあり、濫りに隠すのはいかがなものかと感じる向きがあるのも事実である。
[編集] 婉曲な表現
[編集] 大人の都合
ここでは、テレビのニュース番組や新聞などで多く見られる「大人の都合」による言い逃れの表現をいくつか挙げる。特に政治家が具体的な対処を先送りするために使ったり、起訴された被告人が自らの非を認めたくないときなどが多い。
- 適切に対処(致し)します
- 訴状を見て判断します