まりちゃんズ
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[編集] 来歴
東京都大田区立池上小学校、同大森第四中学校の同級生だった藤岡孝章、尾崎純也、藤巻直哉の3人が「ブスにもブスの生き方がある」で74'フォークコンテストに出場したところ、「歯に衣を着せない」歌詞を評価されてスカウトされた。1975年に活動停止したが解散はしていなかった。
1974年から1976年までの実質2年間しか活動していない。にも関わらず、リリースした曲のほとんどが放送禁止となるなどの武勇伝を持つ異色のバンドである。歌詞の内容が、SMやフェチ、ハードゲイなど今から30年以上も昔の音楽業界では考えられない程きわどく、更にセカンドアルバムではメンバーがビジュアル系メイクでジャケットを撮影するという事実から、時代を先取りし(過ぎ)ていたという評価がある。
1993年9月15日、「尾崎家の祖母」(おざきんちのばばあ、と読む)が、JFN系のラジオ番組「赤坂泰彦のミリオンナイツ」で紹介されて突如再注目され、シングルCDとして再発された「尾崎家の祖母」は15万枚を超えるヒットとなった。1995年に再びまりちゃんズとしての活動を再開した。2005年11月23日には尾崎抜きで「藤岡藤巻」なるユニットで再デビューする。
[編集] メンバー
- 藤岡孝章(1952年6月5日~):早稲田大学商学部中退。再ブレイク当時、ソニーミュージックの新人発掘セクション所属。「新人を売らないで、自分のCDにもなってない曲をヒットさせて、どうするんだ」とぼやいていた。
- 尾崎純也(1952年4月4日~):再ブレイク当時、東急東横線の祐天寺駅界隈のスナックでミュージシャン活動を続行。しかし、現在はミュージシャン活動はやめた模様。
- 藤巻直哉(1952年8月20日~):慶應義塾大学法学部を2年間休学。再ブレイク当時、博報堂所属。当時担当していた平成狸合戦ぽんぽこをはじめ宮崎駿アニメのスタッフロールに名を連ねている。
藤巻によると、「尾崎家の祖母」のギターは下積み時代のCharだが、そのことに触れるとものすごい嫌そうな顔をされたそうである。
[編集] ディスコグラフィ
[編集] シングル
(活動時のもの)
- ブスにもブスの生き方がある 1974年
- ひがみブルース/尾崎家の祖母 1975年
- 武道館でジョイントを 1975年
(フォーライフからの再発売)
- ブスにもブスの生き方がある 1981年
(活動再開時のもの)
[編集] アルバム
(活動時のもの)
- 三巴狂歌
- お買徳
(リバイバル版)
- まりちゃんズ ベスト
- まりちゃんズ ワースト
(活動再開時のもの)
- 埋蔵盤