アッシュール・ニラリ5世
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アッシュール・ニラリ5世(Ashur nirari V、在位:紀元前754年 - 紀元前745年)は、新アッシリア王国時代のアッシリアの王である。中央政府の権力が弱まる中即位し、また在位中に多くの反乱が発生するなどしたために大きな業績は少ない。
[編集] 来歴
アダド・ニラリ3世の息子として生まれた。兄王アッシュール・ダン3世の後を継いで紀元前754年頃即位したが、当時のアッシリアは地方長官の権限が強まり半独立傾向を示した上に中央政府では宦官の勢力が拡大し、更に将軍シャムシ・イルが影響力を振るっており、アッシュール・ニラリ5世の権限は非常に限られていた。
紀元前753年頃、アルパドに遠征を行ってアルパド王マティールを服属させる事に成功したが、その後行われたウラルトゥへの遠征はウラルトゥ王サルドゥリによって破られ失敗した。
その後反乱が続発し、紀元前745年頃、カルフ(ニムルド)で何らかの異変が発生して王位はティグラト・ピレセル3世によって奪われ、恐らくこの時に死亡した。ティグラト・ピレセル3世とアッシュール・ニラリ5世の関係は明らかではない。ある説によればティグラト・ピレセル3世はアッシュール・ニラリ5世の息子、又は兄弟であるという。また別の説によれば、ティグラト・ピレセル3世は王族では無い簒奪者であったという。
どちらにせよアッシュール・ニラリ5世に関してティグラト・ピレセル3世はその王碑文で全く触れておらず、政治的に敵対関係にあった事が推測される。