アミール・ハッターブ
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アミール・ハッターブ(1969年-2002年3月20日)は、チェチェン独立派テロリストであり、チェチェン東部地区の野戦指揮官であった。ヨルダン国籍。
アンマンの裕福なチェチェン人家庭に生まれた。アンマンの士官学校で学び、フセイン国王のチェルケス親衛隊に勤務。その後、アフガニスタン、タジキスタン、チェチェンで戦った。
第1次チェチェン戦争後、セルジェン・ユルト村周辺に、戦闘員訓練キャンプを創設した。
1996年4月16日、ヤルイシュマルドゥイとダチュボルゾイ間の山道(シャトイ地区)において、待ち伏せにより、第245自動車化狙撃連隊の縦隊を撃滅した。連邦側は、戦死者95人(将校26人)と負傷者54人を出した。待ち伏せからは、13人しか逃れられなかった。
1997年12月22日、ブイナクスクにおいて、第136自動車化狙撃旅団に対して攻撃を実行したが、チェチェンへの退却の際、負傷した。
2002年3月20日に死亡。
[編集] パーソナル
ワッハーブ派のイスラム教徒。ダゲスタンのカラマヒ村(ブイナクスク地区)出身のダルギン人女性と結婚。1998年生まれの娘を有する。右手首を負傷したため、左手で筆記、射撃を行っている。アラブ語、チェチェン語、ダルギン語、ファルシー語及びロシア語を話す。