アレクセイ・ネモフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
男子 体操競技 | ||
金 | 1996 | 団体総合 |
金 | 1996 | 跳馬 |
金 | 2000 | 個人総合 |
金 | 2000 | 鉄棒 |
銀 | 1996 | 個人総合 |
銀 | 2000 | ゆか |
銅 | 1996 | あん馬 |
銅 | 1996 | 鉄棒 |
銅 | 1996 | ゆか |
銅 | 2000 | 団体総合 |
銅 | 2000 | あん馬 |
銅 | 2000 | 平行棒 |
アレクセイ・ネモフ(Алексей Юрьевич Немов, 1976年5月28日 - )は、ロシアの男子体操選手である。
[編集] 主な戦歴
- 1995年鯖江世界体操選手権種目別跳馬で優勝したのが国際デビュ-であった。
- アトランタオリンピックでは団体総合、種目別跳馬で金メダル、個人総合で銀メダル、種目別床運動、あん馬、鉄棒にて銅メダルで、同オリンピックで金メダル2個、銀メダル1個、銅メダル3個の合計6個のメダルを獲得する。
- シドニーオリンピックにおいては個人総合、種目別鉄棒で金メダル、種目別床運動で銀メダル、団体総合、種目別あん馬、平行棒にて銅メダルで、同オリンピックでは金メダル2個、銀メダル1個、銅メダル3個を獲得する。
[編集] プロフィール
1990年代中盤から2000年代前半にかけて活躍した。この時期に活躍した体操選手にはめずらしく6種目すべてにおいて不得意種目がなく、アトランタオリンピックおよびシドニ―オリンピックでは2大会連続の個人総合のメダルはもとより、種目別においてもつり輪以外はすべてメダルを獲得経験があるほど彼は李小双(中国)と並びこの時期を代表する男子体操選手であった。
元来自由演技には絶対の自信があり、1995年鯖江世界体操選手権では団体後半自由演技のみの得点は出場全選手中第1位であったが、団体前半規定演技の得点が伸びず、合計得点がロシアチーム4番目であったため個人総合には出場することができなかった。しかし、翌年のアトランタオリンピックまでには、規定課題を十分にマスターしてロシアを団体総合金メダルに導びいた。
同年代のイワン・イワンコフ(ベラルーシ)らとともに、旧ソビエト連邦の体操選手育成システム終盤の育成選手であったと思われ、今後彼らのようなオールラウンダーが旧ソビエト連邦諸国出身選手から出てくるかが注目されるところだ。