アンゲラ・ラウバル
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アンゲラ・ラウバル(Angela "Geli" Raubal , 1908年6月4日 - 1931年9月18日)はオーストリアのリンツで生まれたアドルフ・ヒトラーの異母姉の第二子。アドルフ・ヒトラーの愛人と噂される。ニックネームはゲリ。
第二次世界大戦後のアンゲラの従兄弟によると、オーバザルツベルク(ヒトラーの別荘)で初めて彼女を見た印象は、「若い娘というより、子供のようだった。美しいわけではないが、人を惹きつける自然な魅力があった。普段は帽子を被らないで外に出たり、プリーツスカートに白ブラウスというような普通の服を着ていた。叔父であるヒトラーからもらった金の鍵十字以外は宝石らしきものは身に着けることも無かった。」
叔父のヒトラーがナチ党のリーダーとして力を得ると共に、ヒトラーはアンゲラを束縛するようになる。友人とさえも自由に社交することを許さず、ヒトラー自身か信用できる者を常に彼女の傍につけさせた。そうしたヒトラーの努力とは反対に、アンゲラは自由奔放に振舞った。当時運転手であったエミール・モリス(突撃隊指導者)とも関係した。結果として、エミール・モリスは解雇されてしまう(後に再雇用、昇級した)。
1931年9月18日の朝、23歳になっていたアンゲラは、ミュンヘンにあるヒトラーの部屋で、ヒトラー所有の拳銃で心臓を撃たれて死んでいるのを発見された。正式な発表では自殺となっていたが、ヒトラーは当時のミュンヘン警察に多大な影響力を及ぼしていたため、現在でも死因の真相が問われることとなる。不埒なアンゲラをヒトラーが怒り、ヒトラーが銃殺(もしくは彼女に強要した)との噂が絶えなかった。アンゲラ自身がヒトラーとの近親相姦の関係(妊娠説も噂された)に悩んだ末に自殺を図ったのと説明する歴史学者もいる。一方で、肉体関係は無く、むしろヒトラーの消極的な態度に傷ついたとも言われている。その他にヒトラーが当時19歳であったエヴァ・ブラウンと2年越しの交際をしていたのをアンゲラが許せずに自殺を図ったという説もある。
アンゲラの死後ヒトラーは自殺を図る(しかし、困難に当たると似たようなことはよくあった)。ヒトラーはアンゲラを深く愛するあまりに、彼女の死により別人(悪い意味で)に変わってしまったのではと語る歴史学者も少なくはない。若かりし頃のヒトラーには芸術家になる希望があり、政界に入った後も思い出したように絵を描くことがあった。戦火を逃れた彼のヌードスケッチのうちの少なくとも一つはアンゲラをモデルとしてある。