イスマイル・ガスプリンスキー
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イスマイル・ガスプリンスキー(トルコ語:İsmail Gaspıralı, ロシア語:Исмаил Гаспринский, 1851年3月8日 - 1914年9月11日)は19世紀後半から、20世紀初めにかけてのクリミア・タタール人の社会運動家、著述家。
19世紀のロシア帝国内のムスリム社会で行われていた伝統的教育を、アラビア語による宗教教育に偏重しているとして批判し、トルコ語を用いた実用的な西洋式教育の普及活動を行った。
[編集] 略歴
クリミア半島のバフチサライ市にて、旧クリミア・ハン国の貴族階級(ミールザー)の家に生まれ、シンフェロポリのギムナジア、ヴォロネシの軍ギムナジア、モスクワ軍学校で就学する。 1878年から1882年まで、バフチサライ市の市長(городская голова)を務める。
1883年にトルコ語とロシア語のバイリンガル紙『テルジュマン』を出版し、地方行政、宗務行政、教育制度の改革について幅広く記事を掲載し、ロシア帝国内のムスリム社会に大きな影響を与えた。
1905年のロシア第1革命では、アブデュルレシト・イブラヒム やユースフ・アクチュラ らとともに、ムスリムの権利擁護のために積極的に活動し、政党「ムスリム連盟 (İttifaq-ı Müslimin)」の結成にも中心的な役割を果たした。
娘シェフィカ・ガスプリンスカヤも女性教育活動家として著名。
[編集] 参考文献
- Cafer Seydahmet Kırımer 1934. Gaspıralı İsmail Bey: Dilde, Fikirde, İşte Birlik. İstanbul.
- Lazzerini, Edward J. 1973. Ismail bey Gasprinskii and Muslim Modernism in Russia 1878-1914. Ph.D. Dissertation of Univ. of Washington.
- Kırımlı, Hakan 1996. National Movements and National Identity among the Crimean Tatars (1905-1916). Leiden: Brill.