イトマン事件
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イトマン事件(―じけん)とは、大阪市にあった日本の総合商社・伊藤萬(のちのイトマン)の商法の背任疑惑事件である。
伊藤萬は、1883年に創業された個人経営の繊維商を母体とした企業で、かつては東証一部、大証一部に上場していた。1973年のオイルショックで経営環境が悪化したことをきっかけに主力行の住友銀行(現・三井住友銀行)の役員だった河村良彦を社長として起用。繊維商から総合商社への方向転換を図った。その後、協和総合開発研究所の役員だった伊藤寿永光が、彼の融資していたコスモポリタン社の会長に対して200億円を貸し付け融資が焦げ付いてしまったことから、自らが保有していた雅叙園観光を担保に伊藤萬の経営に常務として参加。更に雅叙園観光の債権者の一人でもあった許永中もそれに参加するようになった。
だが、1990年5月の日本経済新聞で伊藤萬が不動産投資による借入金が1兆2000億円に及んだことが明らかになったことから、Bからの紹介を受けた許永中は美術品や貴金属などを投資すれば経営が安定すると話を河村に持ちかけ、伊藤萬から許永中の絡む3つの会社に対し、許永中の所有していた絵画・骨董品などを市価の2~3倍以上という法外な価格で取引するなどして676億円の仕入れを行った。また小規模の地上げ屋の経営や、建設の具体性の見えないゴルフ場開発(京都放送・内紛と存続問題の項目参照)に多額の資金を投入させ、伊藤萬本体で360億円、全体でも3000億円以上の資金が闇社会に消えていった。
1991年7月23日、大阪地方検察庁は特別背任の疑いで上記3人を含む6人の容疑者を逮捕した。しかし、これらの巨額資金の行く末は今もって謎に包まれている。
伊藤萬は、1991年に片仮名の「イトマン」に社名変更するも、1993年に、住友金属工業の子会社でこれまで金属・鋼材類の製造・販売のみを行った住金物産に吸収合併され、本体は延べ110年の歴史に幕を下ろした。だが、同社が運営していたイトマンスイミングスクールは現在もその名前を残している。
伊藤萬の株式は上場廃止されたが、吸収した住金物産が大証に上場しており、ある意味復活したと言える。なお、住金物産は2006年12月26日に東証1部にも上場を果たした。
また、このイトマン事件に絡んで許永中が経営に関与していたといわれる関西新聞は1991年4月に手形不渡りで倒産し新聞も廃刊。
同じく近畿放送(KBS京都)は社屋や放送機材等が担保に入れられて、一時はそれらの差し押さえ、即ち放送局として存続の危機に立たされたが、1994年に同社の労働組合員が会社更生法を申請して翌年4月に適用決定に至り、廃局の事態は免れた。その後は京都放送に社名を変更して再建への道を歩む。